神田は人一倍好奇心が強く、「なんでも見てやろう。なんでもやってみよう」と、とにかく実践していたのだった。ラーメン屋を経営するにしても、1つの店だけでなく、いくつかの中華料理店で働いてみて、それぞれの優れたメニューやノウハウを学び、それらを活かして独自のラーメン屋を作ったほうが、よりよい店ができるという考え方だった。

 そして、神田は職人仲間と、大宮駅でバッタリ会った。その職人仲間は大宮駅東口の高島屋の向かいにある中華食堂「ことぶき」で、「調理経験者を募集している」と教えてくれた。神田はこの話に乗った。

 神田が入店した大宮駅東口の中華食堂「ことぶき」(現在は閉店)は、12坪二十数席、カウンター席中心の小さな町中華店だった。地元の店の「オヤジさん」と「おかみさん」という感じの夫婦が長年営んできた個人経営の生業店であった。神田は厨房の責任者のような立場に置かれた。

 神田が働きだすと常連客の児玉(故人)が、週2回のペースでやってくるたびに、醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメン、タンメン、それに餃子を注文していた。そして、食べ終わると神田に、「美味かった」と、挨拶して帰るのだった。

「一緒に店をやらないか!」
常連客から思いもよらぬ勧誘

 児玉は大宮の老舗「大宮中央デパート」(1966年〈昭和41年〉開業、2017年〈平成29年〉建物の老朽化と再開発計画のため閉館。跡地に2022年〈令和4年〉4月「大宮門街」が開業)に入居していたスーパーマーケットの警備員をしていた。

 その児玉が神田に「話したいことがあるので、店が閉店してから居酒屋で1杯飲もうよ!」と誘ってきた。神田は気軽に応じた。児玉は神田が来ると、瓶ビールをコップに1杯注いでから、こう話した。

「神田君、今度、岩槻名店街の2階にテナントの空きが出て、私がオーナーとしてラーメン屋を開店することになったんです。けれども、私はこれまで飲食業は一度も経験がないし、ラーメン屋なんてやったこともない。神田君、店長として店をやって欲しいんだ!私と一緒に店をやってくれないか!」(児玉)