そして、開業当初から午前11時~午前4時まで17時間ぶっ通しで働いた。残りの7時間が店に通う時間と睡眠時間だった。
神田は、「出前」と「深夜営業」を前面に打ち出し実践した。
最初は交代要員を1人も置かず、神田1人で運営する前提で始めた。一人二役、1人で2倍仕事をやれば、2倍売上が上がり2倍儲かるという考え方だった。
神田は、開店してから1週間程度は1人でやった。北銀座通りは、さすがに深夜でも人通りが多く、「来来軒」大宮北銀座店にはよく客が入った。
カウンター席だけで5~6人しか座れないのに、明け方に行列ができるほど混雑した。
また、案の定、風俗店から出前の注文がよく入った。
周りにラーメン屋はなかったし、深夜営業するラーメン屋も1軒もなかった。
要するに、北銀座通りでは独り勝ちであった。唯一、ライバル店といえるのは大宮駅東口駅前の屋台ラーメンだったが、徒歩約9分も離れていて商圏が全く異なるので、競合することは一切なかった。「来来軒」大宮北銀座店には若い客がよく入った。
目立たない立地で客入りは最悪…
業態を変えることも検討した
ともあれ、神田は「来来軒」大宮北銀座店の開店から1年半くらいで、2号店を出すことにした。兄弟3人で1店舗ずつ店を持つのが当面の目標だった。
神田は大宮駅東口の最大の繁華街・南銀座の馴染みのお握り屋のママから、「12坪の物件が出る」という情報を得た。
居酒屋の居抜き物件で保証金が300万円するという。家賃は坪2万円で24万円だ。少し細い路地に入ったところで、店が目立たないのが難点だったが、天下の南銀座だ。
神田は賃貸契約を結ぶことにした。
問題は保証金が一括で揃えられなかったことだが、「来来軒」大宮北銀座店を繁盛させている実績があり、大家は「約束手形でいい」といった。
そこで神田は、1回50万円で6回分の約束手形を切った。生まれて初めての経験であった。こうして1975年(昭和50年)3月、中華料理「来来軒」の2号店、大宮南銀座店を開店した。







