屋台が衰退すれば
深夜の客を独占できる

 神田は「来来軒」大宮北銀座店、大宮南銀座店の深夜営業や朝5時まで営業、あるいは24時間営業がヒットしていたので、生業店・家業店のラーメン屋が深夜営業に参入してくると思っていた。しかし、1店舗もそういう熱心な店はなかった。

 深夜営業に参入するような経営体力がなかったし、また、深夜に働く人を確保できなかったからである。

 あの時代、神田と同じように深夜営業していたのは、大宮駅東口前の屋台ラーメン・屋台おでんであった。しかし屋台ラーメン・屋台おでんは道路交通法の問題や食品衛生法の問題などから閉店・廃業に追い込まれていった。

 神田は、「時代の変化」に敏感だった。ラーメン屋に本格的に取り組むまで、20以上も職を変えて、いろいろな世界を見てきたので、余計に「時代の変化」でダメになる職業や新しく起こる職業について、人一倍勘が働いた。

『日高屋 10人中6人に美味しいといわれたい』書影日高屋 10人中6人に美味しいといわれたい』(神田 正、日本実業出版社)

「時代の変化で、屋台ラーメン・屋台おでんはいずれ全てが衰退の一途を辿るだろう。屋台がなくなった後、黒山の人だかりを作っていたサラリーマンや屋台好きの人たちはどこに行くのだろうか?屋台は衰退してもニーズは残る。駅前一等地で屋台ラーメン・屋台おでんを参考モデルにして、1人でもふらりと立ち寄れる屋台のような店、例えば、『来来軒』(屋台ラーメン)&居酒屋(屋台おでん)のような店を作れば、大ヒットするのではないかと思ったんです」(神田)

「来来軒」大宮南銀座店は、最初12坪であったが、後に倍の24坪に拡大した。「来来軒」1号店の大宮北銀座店は開業3年目には日商5万円を上げるほど繁盛し、創業期の「来来軒」を支えたが、開業6年目頃には、跡地に住宅マンションが建つことになり、閉店を余儀なくされた。それからは「来来軒」大宮南銀座店が「来来軒」大宮北銀座店に代わって「来来軒」及び「日高屋」の1号店としての役割を長く果たしてきたのである。

 余談だが、神田は次のように話している。

「年1回開催される株主総会の前には、『来来軒』1号店の大宮北銀座店の跡地を訪ね、近くまで行って深く頭を下げ、手を合わせ、感謝の言葉を述べています」(神田)