つまり、その住まいに腰を据え、建物を共に育てていこうという当事者としての意識を持った住人が、そもそも限られているのです。

 加えて、大都市圏のタワーマンションでは、物件によって購入者の3~4割を外国人が占めるケースも見られるようになりました。それ自体が良い悪いという話では決してありません。

 ただ、たとえ所得の水準が同じであっても、生活のリズムや習慣、暮らしにまつわる価値観が大きく異なる人々が一つの建物に集まれば、共有されたマナーや暗黙の了解――すなわちコミュニティー資本――が育つまでには、より長い時間が必要になります。超富裕層が懸念するのは、この「共通の前提を築きにくい」という構造的な難しさなのです。

 さらに、戸数が多く所有者の属性がばらばらな建物ほど、管理組合の合意形成は難しくなりがちです。大規模修繕の費用負担や運営方針をめぐって意見がまとまらないリスクは、長期的な視点を持つ

 超富裕層が最も嫌うものの一つです。

 この違いは、やがて資産価値の面にも表れます。

 住環境が安定し、管理の行き届いた建物は、年数を重ねても評価が大きくは落ちません。反対に、合意形成がうまくいかず修繕が後手に回った建物は、外観こそ立派でも、いずれ価値の下落という形で「見えない弱さ」が表面化します。

 超富裕層が築20年ほどの、規模の大きすぎない低層マンションを好むのは、こうした「住環境の不確実性」を、時間の経過によってあらかじめ取り除いているからにほかなりません。

家選びとは「見えない資産」を
見極めること

 超富裕層の家選びから、私たちが学べることは何でしょうか。

 それは、住まいの価値を「価格」「築年数」「設備」といった、目に見える条件だけで測らないという姿勢です。

 同じ予算であれば、誰もが新しく豪華な物件に心惹かれます。しかし、本当に日々の暮らしの質を左右するのは、そこにどのような住人がいて、その建物がどう扱われ、どんな秩序が積み上げられてきたかといった数値化できない部分です。

 内見の際には、管理組合の議事録や修繕の履歴にも目を通してみる。共用部の清掃状態や掲示板の様子を観察する。可能であれば、長く住んでいる人の雰囲気にそっと触れてみる。

 こうした地道な確認こそが、「コミュニティー資本」という見えない資産を見極める手がかりになります。

 超富裕層が新築タワマンよりも築20年の物件に価値を見いだすのは、決して特別な感性ではありません。彼らは、時間だけが生み出せる資産があること、そして本当に大切なものほど目には見えにくいことを、経験から知っているのです。

 これは住まいに限った話ではありません。仕事の取引先選びにも、付き合う人の選び方にも、同じ原則が当てはまります。新しさや華やかさに目を奪われず、時間が積み上げてきたものに価値を見いだす。

 その視点を一つ加えるだけで、人生の選択の質は大きく変わっていくはずです。