たった一人の妹

 年明けから、私が色々な問題を抱え悩んでいた時期がありました。
 そんな私を心配して、知華は母と一緒に家まで来てくれました。
 そして、机にあったメモ用紙に、手紙を書き残してくれていました。

「嵐のラストツアー、一緒に見たかったな」辺野古ボート事故、知華さん姉が綴った思い「たった一人の妹…胸が張り裂けそうになります」2026年1月 知華が私の部屋に置いて行った手紙より 写真は「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」より
 知華は(姉)と一緒に花道だけを歩きたいよ。
 大好きだよ。
 たった一人の妹より

 花道だけを歩きたい (“幸せになろうよ” というK-POPでよく使う言葉)
 その手紙の最後には、

「(誕生日にくれた)ネックレスほどいておいたから使ってね。10Kだよ」

 という、知華らしい一言も添えられていました。

 どんな時も、何があっても知華は絶対に私の味方でいてくれました。
 私にとって知華は、たった一人の妹で、たった一人の、絶対的な味方でした。
 その知華が、もういません。
 そう思うたびに、今でも胸が張り裂けそうになります。

お互いの結婚式で

 結婚式の話も、よくしていました。

「パパとママは出番があるのに、妹の出番がないのはおかしくない?」

 そんな話をして、私たちはお互いの結婚式で、お色直しの時に一緒に歩こうと約束していました。

 知華が隣で笑って、少し照れながら、でもきっと楽しそうに一緒に花道を歩いてくれるのだと思っていました。

20歳の誕生日

 知華は、私が友人の誕生日をホテルでバルーンを飾ってお祝いしている写真を見るたびに、こう言っていました。

「ねぇねぇ、20歳の誕生日の時、もし知華に彼氏がいなかったら、ホテルでバルーンで盛大にお祝いしてね!」

 彼氏がいてもいなくても、そうしてあげるつもりでした。
 何をあげようか、どんなふうに驚かせようか、楽しみにしていました。
 それなのに、なんでいなくなっちゃったんだろう。


知華のことを正しく伝えるために

 父がこのnoteを開設した目的の一つに、知華のことを正しく伝えることがあります。

 知華は、誰かの主張のために沖縄へ行ったわけではありません。

 沖縄戦の歴史や経済、文化を勉強し、メイクや服装に悩み、お友達と沖縄へ3泊4日の旅行に行くことを楽しみにしていた、一人の女の子でした。

 沖縄のテレビや新聞では、ほとんどこの事故の報道は無いと聞いています。

 もしかすると、知華は抗議活動に参加していたと、まだ思われているかもしれません。

 SNSにあまり触れない沖縄の年配の方々にも、知華の本当の姿を知っていただきたく、私たちのnoteのことを伝えていただけると嬉しいです。

 知華の姉より

「嵐のラストツアー、一緒に見たかったな」辺野古ボート事故、知華さん姉が綴った思い「たった一人の妹…胸が張り裂けそうになります」成人式の記念写真で抱きついてくる知華  写真は「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」より