私がnoteに「幸せな日々はずっと続くものと思っていました」と書いたとき、自分の言葉のつもりだった。それと全く同じ言葉を、宮城さんの講演記録の中で見つけてしまった。
2024年3月の沖縄研修旅行の冊子で、当時の戸田校長はこう書いている。
同志社国際高等学校 平和を作り出す人 第41号 研修旅行にあたって より
まさにそのことが今起きたじゃないかと。こんなことは簡単に起こってはいけないのに。戦時中でもないのに。
宮城氏は生徒に伝えた。当たり前の日常が、ある日突然終わることがある。それは今この社会でも起こりうると。学校はその言葉を教材にし、生徒に届けた。
では、その言葉を届けた学校自身は、その重みをどう受け止めていたのか。
宮城喜久子氏の語る命と平和学習の重み。
その言葉を借りながら生徒の命の管理を人任せにした学校の軽さ。
この対比はどうしても消化できない。
知華と重ね合わせて読んでしまう個人的な心情を抜きにしても、やはり戦争体験者の言葉の迫力と重みは凄まじいものがある。
金井創氏が開会礼拝を担当する以前は、金城重明氏が開会礼拝を行なっていた。この方の体験も筆舌に尽くしがたいものがある。宮城氏と比較すると政治批判が含まれることもあったが、両者の話は、ストレートに戦争なんてない方がいいということを伝える、何よりも強い教訓であり、ではどうするかを考えるための土台として大変意義のあるものだと感じた。
複数人の先生も文集に寄せているが、戦後80年以上が経ち、戦争体験者からの生の声を聞くのが難しくなった今、誰がどういう目的で平和を語り、教えていくのか。その移行はうまくいったのか、いっていないのか。
とりわけ教育現場においては、戦争体験者に代わり平和を語る者たちが、特定の政治活動や思想を一方的に語るものと密接に繋がっていないかを、今このタイミングで検証して欲しい。
平和を教えようとする立場にある組織から、「平和教育は問題がない。」「平和教育の歩みを止めてはならない。」という趣旨の声明が複数出ている。事故後間もない時期に、平和教育の実態を再検証もせずにそう言い切った根拠はなんなのか。示して欲しい。







