人間は、どこでも同じ顔で生きているわけではありません。職場では職場の顔があります。近所では近所の顔があります。親戚の前では親戚の前の顔があります。そして家庭には、家庭の顔があります。

 外で“完璧な夫”や“完璧な妻”として振る舞っている人ほど、家では力を抜く必要があります。外でも家でもずっと完璧でいようとすれば、心が休まる場所がなくなってしまうからです。

愛想笑いは重労働? 感情を演じる代償

 たとえば、外では感じよく笑い、相手に失礼がないように気を配り、場の空気を読み、きちんとした人に見えるように振る舞う。こうした行動は、本人が思っている以上にエネルギーを使います。

 昼間は、多くの人が“よそ行きの顔”で過ごしています。相手に不快感を与えないようにする。笑顔で応じる。面倒なことを言われても、ぐっとこらえる。場に合わせて明るく振る舞う。そういう努力を続けていると、家に帰った瞬間に、張り詰めていた糸が切れることがあります。

 それが、パートナーの前で別人のように見える理由です。

 ペンシルバニア州立大学のアリシア・グランディらは、秘書やウェイトレスなど、笑顔や丁寧な感情表現を求められる仕事に就いているアメリカの従業員116名、フランスの従業員99名を対象に、感情表現とストレスの関係を調べました。

 この研究が示しているのは、「笑顔でいること」そのものが必ず悪いということではありません。自分の本音とは違う感情表現を仕事として続け、しかもその表現を自分で調整する余地が少ないと、ストレスや情緒的な消耗につながりやすいということです。

 つまり、外で感じよく振る舞うことは、決してタダではありません。笑顔でいること、丁寧に対応すること、機嫌よく見せること。そうした“外向きの自分”を維持するには、かなりの精神的エネルギーが必要なのです。

 世間様の前で“完璧な人”として振る舞う人も同じです。外では、夫として、妻として、親として、社会人として、さまざまな役割を背負っています。失礼のないようにする。きちんとしていると思われるようにする。場を乱さないようにする。そうやって無意識のうちに自分を整え続けているのです。

 だからこそ、家に帰ったときくらいは、その演技を下ろしたくなります。

 組織行動研究者のアナト・ラファエリとロバート・サットンは、仕事の場では感情表現そのものが役割の一部になると論じています。接客業では、単に商品やサービスを提供するだけでなく、笑顔、明るさ、親切そうな態度まで求められることがあります。

 これはサービス業だけの話ではありません。職場でも、親戚づきあいでも、近所づきあいでも、私たちはしばしば「その場にふさわしい感情」を演じています。内心では疲れていても、「大丈夫です」と言う。面倒だと思っても、にこやかに対応する。腹が立っても、場を壊さないように飲み込む。

 そうした演技は、人間関係を円滑にするために必要な面もあります。しかし、ずっと続けていれば、当然疲れます。

 だから家では、演技を止める必要があるのです。