『ばけばけ』主人公の夫のモデルが書いた作品も…明治中期の「新聞連載小説」が豪華すぎる!〈風、薫る第50回〉

シングルマザーとみなしご

 店から客と逃げた夕凪を探して、女郎屋の主人(梅垣義昭)がやって来た。

 店の損害と入院費をそっくり稼いで返してもらう、とすぐさま夕凪を連れ帰ろうという勢いの主人を、止めたのはヨシ(明星真由美)だ。

 元・やり手婆だけに、主人の扱いに慣れている。梅垣と明星が演じる気質(かたぎ)じゃない者同士の息の合った会話は別のドラマのような凄みが漂った。

 夕凪は足を怪我して動けない。当院評判のトレインドナースが手厚く看病するから、今日のところは引き取ってほしいとヨシは主人を説得する。でもそれは「ただの時間稼ぎ」に過ぎない。

「店に戻ったらこっぴどくやられる。かといって、逃げてしくじれば、それこそ、どちらにしても、地獄」

 どちらにしても地獄なら夕凪を逃がしたいと考えるりんと直美に、「あんたら甘いんだよ」と夕凪。

「私は、私は、それで生まれました」と直美。

「私は女郎が男と逃げて生まれた娘です。本当です。母に捨てられたので、みなしごですが」

 つまり、直美の母は、足抜けの成功例。逃げて子を生むことができたと言いたいのだろう。結果、直美を捨てて行方不明なのだから、成功したとは言い切れない。だからこそ直美は母と同じ名の夕凪に逃げ切ってほしいのだろう。

 直美が原案の鈴木雅と出自の違うみなしご設定なのか、合点がいくのはここである。

 原案のプロローグには「これは近代日本において、看護婦という職業の礎を築いた二人のシングルマザーの物語である」と書かれている。二人とは大関和と鈴木雅のことだ。

 大関和の参考とされるりんはシングルマザー。直美は目下未婚。ただ、彼女の母がある種のシングルマザーだ。ひとりでは育てることができず、直美を捨てた。シングルマザーの不幸な選択がみなしごを生み出す一例だ。

『明治のナイチンゲール』には“日本全国で私生児の割合は私生児百に対し六半ですが、大阪など遊郭の盛んなところは、百に二〇の私生児がある。東京、長崎、名古屋も全国の平均数をはるかに超越しております」と数字を挙げて存娼論を否定した。”という記述もあるくらいで、みなしごを増やさないためにも廃娼が実践されなくてはならないという考えもあるのだろう。

『風、薫る』では、りんをシングルマザーに、直美をみなしごに設定することで、ふたつの視点によって、より多角的に、近代日本の結婚制度から期せずして外れた女性たちがよりよく生きる方法を模索する物語を描こうとしているのではないだろうか。