「証明する必要のある人」と
「証明し終えた人」の違い

 ここで参考になるのが、ノーベル経済学賞を受賞したマイケル・スペンスが提唱した「シグナリング理論」です。人は、自分の価値や能力を相手に伝えるために、あえてコストのかかる行動をとることがある。その行動が「シグナル」と呼ばれるものです。

 この理論で重要なのは、シグナルは「相手に見られて、はじめて意味を持つ」という点です。そして、自分の立場や実績がすでに周囲へ十分に伝わっている人にとって、そのシグナルはもはや不要になります。むしろ、すでに評価の定まった人がことさらに誇示すれば、それは余計な背伸びとして、かえって品位を損なうことさえあるのです。

 あるお客様は、海外出張の手配をお任せくださる際、「今回はビジネスでいい」とおっしゃる場面が多々ありました。

 その必要がなければ、座席に余計な費用をかけない。その判断は、決して倹約のためではなく、自分の基準が外からの視線に左右されていない、ということの表れでした。

 私がこれまでお仕えしてきた方々を、この視点で振り返ってみると、はっきりとした一本の線が見えてきます。

 自分のアイデンティティーを、まだ証明している途中の段階にある方は、ファーストクラスという分かりやすい「証明書」を選ぶ傾向があります。一方で、自分が何者であるかをすでに証明し終えた方は、その証明書を必要としません。

 そしてこの違いは、資産額の大小ではないのです。日本では一般に、純金融資産5億円以上の世帯を「超富裕層」と呼びますが(野村総合研究所による区分)、同じ資産規模であっても、この二つのタイプはどちらも存在します。

 両者を分けているのは、「他者からどう見られるか」を今も意思決定の軸に置いているかどうか、という一点なのです。

本物の富裕層は
合理的に座席を選ぶ

 自分が何者かを証明する必要がなくなった方の座席選びは、驚くほど合理的で、静かなものになります。

 数時間程度のフライトであれば、ビジネスクラスでも十分に体を休められる。到着後はすぐに自宅や宿泊先で休めるのだから、無理にファーストクラスにする理由はない――そうした実際的な判断で、彼らは淡々と座席を決めていきます。そこに見栄や気負いはありません。