【病理1】
「何を言ったか」より「誰が言ったか」を重視

 1つ目は「属人風土」です。何を言ったかではなく、誰が言ったかによって物事が判断される空気のことです。

 本来、組織内での判断基準は事実、ルール、論理であるべきです。しかし属人風土が強い組織では、上下関係、派閥、忠誠心の厚さが優先されます。

 現場の若手社員がルール上問題のある処理に気づいても、上司が「昔からこうしている、黙って処理しておけ」と言えば異議を唱えられなくなります。会議で明らかに無理のある計画が示されても、役員の顔を潰すわけにはいかないという空気が先に立って、実態に即した反論が出てこなくなるのです。

 リーダーが言ったことは絶対という空気の中では、組織的な違反や不適切行為が見過ごされやすくなります。最初は今回だけは仕方ないと言って、通ってしまった例外処理が積み重なり、会社のため、顧客のためという正当化を経て、隠蔽や黙認が常態化していく。まるで大日本帝国の軍組織のように、正しい反論が生まれない組織は、やがて取り返しのつかない状況まで突き進んでしまいます。

【病理2】
社員が会社と一体化する

 2つ目は、会社への帰属意識が強すぎることです。私はこれを「過剰な組織アイデンティティ」と呼んでいます。

 組織アイデンティティ理論という学説(※1)があり、本来、自社に対する誇りや一体感を持つことは個人のパフォーマンスを高める効果があるので、組織にとってよいことです(※2)。

社会的アイデンティティ理論を組織に適用した研究では、組織同一視は「組織との一体感・所属感」として捉えられ、職務態度や行動と関連することが示されてきました。

 しかし、自社と自己の一体感が強くなりすぎて同一化するようになると、会社を客観的に見られなくなります。例えば、「うちの会社」と言う人は、本人のアイデンティティに占める会社の割合が大きい人です。一方で「○○社は」と言う人は、自分と組織の間にある程度の距離を置いている人と考えられます。

 組織アイデンティティが過剰になり、自分と組織を過度に一体化させると「会社のためなら多少の不正は仕方ない」「今公表したら大事になるから内部で処理しよう」などという歪んだ正義感が生まれます。会社の論理だけで物事が正当化され、外部に説明できる判断なのかという視点は失われるからです(※3)。

 内部告発や異議申し立ては「会社への裏切り行為」と認識されるので、できなくなります。組織の自浄作用が失われていくのです。

 もちろん、不正には個人の利得や保身が絡むこともあります。ただ、組織ぐるみで不適切行為が広がるときには、「会社のため」「仲間のため」「現場を回すため」といった言葉で、問題行為が正当化されることが少なくないのです。

 これを防ぐには、組織と距離を置く視点を意識的に持つことが必要です。

【病理3】
制度と実態が乖離する

 3つ目は、表向きの制度と現場の実態が乖離している状態です。組織論では「脱連結」と呼ばれます(※4)。

 ホワイトな職場であると発信しながらサービス残業が黙認されている。品質管理を徹底していると言いながら、チェックリストの形式的な確認で済ませている。ハラスメント相談窓口に実際に相談すると、面倒な社員だと思われる。こうした建前と実態のずれが、組織の内側で常態化しています。

 脱連結そのものは必ずしも悪いことではありません。規則通りでは業務が回らず、現場が臨機応変に運用すべき場面はあります。

 例えば学校では教育指導要領という公式のルールはありますが、現場の教師各自が授業をアレンジすることで教育効果が生まれています。制度と現実のずれが即問題なのではありません。

 ただ、ここに病理1の「属人風土」と病理2の「過剰な組織アイデンティティ」が組み合わさると、事態は極めて危険な方向に向かいます。

 事実やルールよりも権力者の声が優先され、会社を守るためなら不正も正当化される組織では、建前と実態(不正)のずれが意図的に隠蔽されるようになるからです。こうして「現場」と「経営」との間に分厚い壁ができ、現場からは都合の悪い情報が一切上がらなくなります。都合良く取り繕われた「美しい報告」や成功事例だけが経営層に届く構造ができあがってしまうのです。

 経営層はその美しい報告を信じ切り、外部に向けて「当社はコンプライアンスを徹底しています」と発信し続けます。その結果、今度は「組織」と「外部」との間にも分厚い壁が構築され、外部からは実態が完全に見えなくなります。見た目は立派でも実態が全く伴わない組織の内情が、ある日突然、決定的な不祥事として露呈するのです。これが、大企業で不正が繰り返される真の構造です。