日本一の芸者から、日本初の女優へ。そして世界的な人気を獲得した女性がいる。その名は川上貞奴。明治という時代に、誰も歩いたことのない道を切り開いた人物だ。本稿では、その波乱に満ちた人生を振り返る。

川上貞奴のイラストイラスト:和田ラヂヲ(『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』より)

すさまじい「貞奴ブーム」

 パリでの川上貞奴ブームはすさまじく、有名な画家・ピカソも貞奴のスケッチを描いています。

 ある日、パリ公演中の貞奴に「ロダンがあなたに会いたいと言っています」と声がかかりました。

 ロダンとは『考える人』などで世界的に有名な彫刻家で、貞奴のファンになり彫刻のモデルを頼みに来たのです。

「ピカソがスケッチ」「ロダンの依頼はお断り」→明治時代、芸者から世界的スターになったとんでもない美女がいた!川上貞奴(Wikimedia Commons)

 しかし、貞奴はロダンを知りませんでした。それどころか「ロダン」を「露探(ろたん)=ロシアのスパイだ!」と勘違い。当時は日露戦争の直前で「露探」が暗躍しているといううわさが流れていたため、警戒した貞奴はその場で断ってしまいました。

 あとになって世界に名だたる彫刻家だと知った彼女は、大いに恥ずかしがったそうです。

 夫の音二郎が47歳で亡くなったのち、貞奴は初恋の岩崎桃介と運命的な再会を果たし、約30年ぶりに結ばれます。

 桃介は水力発電事業を起こして大金持ちになり、「電力王」とよばれていました。貞奴は赤いバイクを乗り回し、桃介とダムに行ったときは谷底までいっしょに降りて工事現場の人たちを励ましたといいます。

 桃介には妻がいたのですが、ふたりは夫婦のように死ぬまでいっしょに豪邸で暮らしたそうです。

(本稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』からの抜粋です)