学校の授業で学ぶ歴史には、偉人たちの輝かしい功績や「すごい」エピソードが数多く登場します。しかし、どんな人物にもそれだけでは語れない一面があります。歴史をひもとくと、「すごい」人の中にも、思わず目を疑うような「やばい」行動や選択が、数多く記録されているのです。
そんな「すごい」と「やばい」の両面から、日本史の人物のリアルな姿に迫るのが『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』。同書より特別に一部を紹介します。取り上げるのは、「琳派」を代表する絵師として知られ、大胆で洗練された作品を数多く残した尾形光琳です。

【天才】遺産を食い潰し女性には訴えられ…絵師「尾形光琳」の人生がやばすぎるPhoto: Adobe Stock

すごい:日本画の常識を変えた「琳派」を代表する絵師

 尾形光琳は「琳派」を代表する絵師です。

 かれの絵は大胆な構図すっきりした見た目が特徴です。代表作の『燕子花図屏風』は、スタンプでおしたような花をリズムよく配置したデザインで有名。呉服屋出身の光琳ならではの、着物の布地に用いられる構図を応用したものです。

『紅白梅図屏風』では、あえてリアルさをなくしてかんたんに表現した川を描きました。目立たせたいところをハッキリさせ、それ以外のところをシンプルに表現するのは、現代の広告やウェブサイトのデザインにも通じる技法。光琳は、人々の目をひきつける方法を知り尽くしたアートディレクターだったのです。

やばい:親の遺産を遊びに使い果たす

 光琳は京都の裕福な呉服商の次男として生まれました。父は公家と仲良しの文化人で、光琳も幼いころから一流の美にふれて育ちます。

 しかし父が亡くなると、光琳は家業にはまったく関心をもたず、能にのめりこみ高等ニート生活に突入。さらに光琳の子どもを産んだ女性にうったえられて、家1軒と示談金を支払うことになり、遺産をわずか数年で使い果たしてしまいます。

 30代半ばでお金が尽きた光琳は、食べていくために本格的に絵師になると決め、自分が好きな絵師たちの絵の模写をしながら上達していきます。こうして落ちぶれ人生から名作を生み出し、琳派の巨匠として名を残したのです。

【天才】遺産を食い潰し女性には訴えられ…絵師「尾形光琳」の人生がやばすぎるイラスト:和田ラヂヲ(『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』より)

(本原稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』からの抜粋です)