そんな夫が、病気になったタイミングで、これまでの生活を見直して夕飯までには帰ってくるようになったのです。そこで、私から夫へ料理のメイン担当を引き継ぎました。
夫がメイン担当になったばかりのとき、手の込んだ一品やおいしい料理を作ってくれてとても嬉しいはずなのに、同時に私はモヤモヤした気持ちを抱いていました。ケチをつけてしまいそうになったり、「もっとこうしたほうがいい」と小言を言ってしまいそうになったり。そんな自分に戸惑いました。
たとえ家事をしなくても
家族の中での価値は変わらない
このモヤモヤを掘り下げていくと、自分の存在価値自体が揺らいでいるような、そんな感覚から「悔しさ」を覚えているのだとわかりました。
これはコミュニティにおいて「自分の価値を奪われるかもしれない」という生存本能に近い反応なのだと思います。
だから、家事=自分の存在価値になっている方の気持ちはよくわかります。
自分の存在価値になっているからこそ、完璧主義にもなりますし、自分とは違う方法で誰かが手伝ったことも気になってしまう。ある意味で、完璧主義とは責任感の裏返しです。
でも、人間の価値は「何かをやってくれたから」という行為で決まるものではありません。特に家族においては、それぞれのメンバーが存在するだけで本当に尊いと思えるような関係性のはずです。
つまり、考え方を「well-doing(役割や仕事、タスクを実施・遂行することに価値を見出し、それらを果たすことで幸福感を得ること)」から、「well-being(身体的・精神的・社会的に満たされた“よく在る”状態)」へとシフトしていく必要があるのです。
何かの役に立っているという機能としての価値があるのではなく、家族にとっては「私が存在していることが大事なのだ」と理解していきましょう。
これまで何千回もの食事を作ってきた方も、料理をすることを手放したからといって、あなたの価値が失われるものではありません。家事を渡していくことは、自分の存在価値がおびやかされることでもありません。







