学校現場で、子どもたちの学びの多様性はどこまで考えられているでしょうか。
たとえば、小学校では、漢字であれば「繰り返し書いて覚える」こと、かけ算九九であれば「繰り返し唱えて覚える」ことを基本として指導が進められています。学校教育の黎明期である明治時代から脈々と「このやり方が良い」とされ、伝統的に受け継がれてきた指導スタイルです。
しかし「形の構成」や「視知覚」に困難さが生じていれば、書いて覚えるという学習方略はうまく機能しません。同様に「聴覚的なワーキングメモリー」のつまずきがあれば唱えて覚えるという学習方略は効果を発揮しません。
教師が、決められた方法で行うことが「正しい唯一の学び方」なのだという考え方に固執してしまうと、その方法に適応できなければ、それは子ども側の「甘え」や「努力不足」の問題という見方になってしまいます。またその結果、学習が定着しなければ「学ぼうとしないその子に原因がある」と、いわば「自己責任」であるかのように決めつけられてしまいます。
村中直人氏は、「同年齢集団の全員が同一の基準や方法によって画一的な教育を受けるやり方は、もうこの時代の社会に合わないものになっていて、そこかしこに深刻な課題を抱えている」と述べ、現在の学校現場での指導に強く警鐘を鳴らしています(編集部注/村中直人『ラーニングダイバーシティの夜明け 多様な学びを選択できる教育のために』、日本評論社、2024年)。
「そろう」、「整う」の
対象を見直すことが大切
「多様性」は、その人らしさやその人の学びのスタイルを社会全体で尊重しようという趣旨の言葉です。
この言葉は、一見、すてきな理念のように映ります。しかし、見方を変えれば、自分とは異なる考えを持つ人や違った学び方・進め方をする人と共に過ごすということを意味します。それぞれが心の中に抱く「違和感」や「異質さ」と共存する状態を乗り越えなければなりません。







