同時に「日本国民」という新しい共同体意識が国家によって形成されました。人びとは共通の国語を学び、同じ学校制度のもとで読み書きや計算を習得し、近代国家にふさわしい身体規律を身につけることが求められました。1872年に発布された学制はそのための中心的な装置でした。こうして学校制度は近代国家が掲げた「標準的な国民像」を社会全体に浸透させる仕組みとして機能したのです。

子どもを「商品化」する
近代の学校制度のあり方

 イリイチ(編集部注/オーストリア人の哲学者)は、このような視点から学校制度を論じたのでした。前近代社会は市場が地域社会から切り離され、近代において商品化された社会が自律的に機能するようになりました。同じ構図が学校にもあてはまります。

 学校は地域から切り離され、子どもたちを学力や成績によって序列化、評価する仕組みをもつ制度として誕生しました。イリイチは、子どもをあたかも商品や労働力の予備軍のように扱うあり方を批判したのです。

 イリイチの学校批判の背景には、カトリック司祭としての経験がありました。彼は1950年代末にプエルトリコでカトリック大学の学長を務め、アメリカ流の開発教育に深く関わります。

 当時の開発とは貧しい社会を経済的に豊かにすることを目標とし、そのために学校を通じて近代的価値観を人びとに植えつけるものでした。そこでは「教育=開発の道具」とされ、地域社会の伝統や固有の暮らしは軽視されがちでした。

 イリイチはこの開発が大航海時代以来のヨーロッパ的伝統である、キリスト教の宣教師が文明の光をもたらすとして各地に布教した営みの延長線上にあると考えました。宣教師たちは「よかれと思って」聖書の教えを広めましたが、それは地域社会を外から作り変える営みでもありました。イリイチは近代においてその役割を果たすのが学校だと考えたのです。

 言い換えれば、前近代社会で地域を超えて人びとを統合したのが教会であったとすれば、近代においては学校がその役割を担ったといえます。地域社会から切り離された学校は、子どもを標準化された国民として再生産し、近代社会に巻き込んでいく装置なのではないか。イリイチの根本的な批判はそこにありました。