例えば秋になると山道に大量の落ち葉が降り積もりますが、その掃き掃除ですら1人では到底立ち向かえません。夏の草刈りや冬の雪かきも言うに及ばず、何人かで協力しなければ完遂することはできません。そうした経験を通じて、僕は1人の人間の力の小ささをあらためて思い知らされるのです。
こうして都市と山村の違いを考えてみると、都市に暮らす人びとは「自然に優っている」と思いながらも、実際には生活する空間や時間を限定することで、自然のほんの一部だけをコントロールしているに過ぎません。
人間は科学や理性によって
自然を超越したわけではない
都市と山村の関係を考えると、それは近代と前近代の関係にも重ねて理解することができます。僕たちが生きている近代という時代は科学や理性によって自然を完全に超越したのではなく、「人間が制御可能な範囲の自然」と付き合っているだけなのです。
そのことを考えると、近代が最初に成立した地域が比較的大規模な地震や津波といった自然災害が少ない北西ヨーロッパであったことは象徴的です。
もちろんそこにも洪水や嵐などは存在しましたが、日本のように頻発する地震や台風とは比べものになりません。そうした条件のもとで「人間は自然を超克できる」という物語が形成され、それが近代社会の基盤となりました。この物語に基づいた人間観こそが「標準的人間」というフィクションなのです。
日本では、近代は江戸幕府の崩壊とともに始まりました。江戸時代には300あまりの藩が存在し、それぞれが独自の法や慣習を持ち、地域の実情に応じた支配が行われていました。身分制度も藩ごとに微調整され、武士を頂点とする秩序が維持されていたのです。
しかし幕末になるとアメリカをはじめとする西洋列強が来航し、日本に開国を迫りました。国内は対応をめぐって二分されましたが、最終的には薩摩、長州を中心とする明治政府が権力を握り、近代国家の建設を進めます。この過程で版籍奉還や廃藩置県によって藩は廃止され、身分制度も四民平等の理念のもとに解体されました。







