現地入りして3日目の深夜のことだ。『23』のオンエアが終わった瞬間に、あの普段は温和な筑紫さんが、MBS本社のフロアの片隅で「君たちはわかっていない!」と怒鳴り声をあげた。被災者の声をそれこそ地べたを這うように歩き回って集めてきたVTRが東京で編集された中身をみて怒り狂ったのである。それ以外にも、スタッフ同士の激しい衝突や、神戸組と東京組のぎくしゃく、TBSとMBSとのぶつかり合いなどが幾度となくどこかで起こっていた。

誠実な報道を行なっても
誹謗中傷が止むことはなかった

 もうひとつは、テレビというメディアに対して向けられた敵意、悪意というか反発があの時は非情なくらいに露わになった。

 たとえば初日に筑紫さんがヘリですでに火の手が上がり始めた神戸上空から発した「温泉場の湯けむりが上がっているかのよう」だとのリポートが視聴者や活字メディアからの攻撃の対象になった。さらには「ヘリで取材する暇があったら救援物資のひとつでも運んで来い」「テレビクルーのチャーターしたヘリの騒音で救助を求める声がかき消された」などというテレビバッシングの声がどんどん拡散した。

 なかにはキャスターたちが被災地で身に着けていたあの服装はけしからん、という声も聞こえてきた。実際にテレビ報道にたずさわっていた人間たち全員が何の問題もなく整然としていたなどというつもりは毛頭ない。疲れきった被災者たちが身を寄せていた避難所に某テレビ局クルーがライトをつけながら侵入したというケースも聞いた。だが、いわれのない攻撃や中傷には度を越したものがあった。

 ここに記すことがためらわれるほどの不愉快なある事例を僕自身は忘れることができない。筑紫さんは亡くなってしまったのでもう和解のチャンスも失われた。自著のなかでさすがに腹に据えかねたのだろう、筑紫さんは以下のように記していた。

《震災直後、焼け野原のような現場を歩いて話を聞き続けていた私と取材チームは、そこでご両親を失ったばかりの人と出会った。そんな悲痛な状況とわかって近付いたわけではない私たちに向かって、その人は「カメラは止めて下さい。止めた上なら話をする」と言った。私たちはその通りにし、オフカメラで聞いた話を私がスタジオでフォローした。その日の放送を観た視聴者は、現場の映像が途中で止まり、その後の説明を私がするのを聞いたはずである。ところが、これがどう曲がって伝わったのか、私が当人の制止をふり切って撮影を強行したと非難するコラムを書いた作家がいた。おそらく放送は観ていなかったのだろうが、粘着気質なことで知られるこの作家は以来、未だにそのことにこだわっていろいろ書き続けているらしい(私は読んでいないが)。――『ニュースキャスター』》

『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』書影筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(金平茂紀、講談社)

 この作家がどのような弁明をしようと、あれはひどい事実誤認に基づく一方的主張であった。

 TBSには当時の取材のマザーテープが保管されている。撮影者は加藤孝カメラマン。そのテープでは、筑紫さんが「VTR止めてください」と取材対象の男性から言われた直後のタイムコード1月19日14時16分52秒24のところで撮影は止められている。その後は14時18分00秒27から別の場所の撮影にカットが飛んでいる。

 当時、取材を受けて撮影されたご本人とは、僕らがその後直接話をして誤解も解けたのだが、問題は事実関係を確かめもせずにあのような記述を残した作家にあったと僕は思っているし、その認識は終生変わることはないだろう。これ以上この不愉快な件については記すことをやめたい。