筑紫哲也氏筑紫哲也氏 Photo:SANKEI

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。『筑紫哲也NEWS23』のキャスターだった筑紫哲也は、発生当日に現地入りし、被災者一人ひとりの声を拾い続けた。しかし、その思いは編集の過程で十分に伝わらず、さらに事実とは異なる批判や中傷にもさらされることになる。誠実な報道を貫こうとしたジャーナリストは、なぜ「テレビをやめよう」とまで口にしたのか。震災報道の舞台裏で起きていた知られざる葛藤を振り返る。※本稿は、ジャーナリストの金平茂紀『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

阪神・淡路大震災が発生…
筑紫哲也はすぐさま現地に飛んだ

 さすがに夕方近くになると冷え込んできて、体の芯から震えがきた。2015年1月17日。この日、僕は、担当している『報道特集』の生中継のために、神戸市中央区の東遊園地にいた。

 阪神・淡路大震災から丸20年を迎え、そこでは終日、犠牲者を追悼する営みが続いていた。竹筒に包まれた蝋燭に火が灯された「竹灯籠」が広場の中央部に多数設置され、それを取り囲むように参列者たちが祈りを捧げる姿は、おごそかな雰囲気を周囲に醸し出していた。

 あれから20年がたった。あの日、『筑紫哲也NEWS23』のデスクだった僕は、早朝の電話で大震災発生を知り会社へと急行した。局に着いて、テレビ画面を凝視していた。高速道路が波打つように崩落し、各地で火の手があがりはじめていた。いずれも空撮映像だったように記憶している。

 これは大変なことになった。キャスターである筑紫さんには、今日の出演は東京のスタジオからではなく関西から出てもらおう。できるだけ早く現場で取材してもらわなければならない。すぐさまそう確信した。