ハーバード、マッキンゼー、BIS、OECD
日本・アメリカ・ヨーロッパを渡り歩く
ここで、簡単に私の自己紹介をさせてください。
[京都大学国際高等教育院教授]
東京都生まれ。東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)を卒業後、アメリカのハーバード大学で学位、フランスの欧州経営大学院(INSEAD)でMBA(経営学修士)を取得。その 後、マッキンゼーのパリオフィスで経営コンサルタント、イギリス・ロンドンの投資銀行S.G. Warburg(ウォーバーグ銀行)でファンド・マネジャー、フランスの証券リサーチ会社でエコノミストとして勤務したのち、ポーランドでは山一證券の合弁会社で民営化事業に携わる。
1998年より国際公務員としてスイスのBIS(国際決済銀行)、フランスのOECD(経済協力開発機構)で職員年金基金の運用を担当。OECD在籍時にはIMF(国際通貨基金)のテクニカルアドバイザーとして、フィジー共和国やソロモン諸島の中央銀行の外貨準備運用に対して助言を与えた。その後、スイスで起業し、2012年4月より現職。
日本の公立高校を卒業した私は、日本の大学には進学せず、アメリカのハーバード大学への進学を決めました。当時のハーバード大学の学部生には、私を含めて日本人は3人。また、私以外は、2人とも帰国子女でした。
私はというと、帰国子女ではないどころか、それが初めての海外で、飛行機にすら乗ったことがないという状況です。日常会話すらままならないなか、必死の想いで学位を取得しました。
その後、日本で働くことを決意して帰国したのが1981年。しかし、当時は、留学経験者は最初から「中途」になってしまい、採用面接を行ってくれる会社そのものが限られていました。
また、男女雇用機会均等法が生まれる4年も前の話です。女性だからという理由だけで仕事を与えられず、名刺すら持てない毎日。有名4年制大学を卒業した優秀な女性は、色鉛筆で資料を塗り分けていました。
「補助的な仕事ではなく、プロフェショナルとして生きていきたい」
そう考えてINSEAD(欧州経営大学院)への進学を決めました。
結果的には、INSEADへの入学が大きな転機となって、卒業後は、マッキンゼーのパリオフィスでコンサルタントとして働き、その後は、S.G.Warburg(ウォーバーグ銀行)で日本株のファンドマネジャーとして勤務することになりました。
さらに、そこで得た資産運用の知識をもとに、フランスの証券リサーチ専門会社、BIS(国際決済銀行)、OECD(経済協力開発機構)と様々な国・業種で働き、いま、京都大学で教鞭を採る機会に恵まれました。
こうしたキャリアは、初めからこの会社で働きたいと思って対策を行っていたわけではなく、人との出会い、たまたま目にしたホームページなど、実は、偶然とも言えるチャンスがきっかけとなっています(詳細は『自分の小さな「鳥カゴ」から飛び立ちなさい』に記しました)。
では、たとえ偶然であっても、それを偶然のままで終わらせてしまう人と、自分が描いている目標を実現するための必然のチャンスに変えられる人にはある違いがあります。それは、楽観性です。