直木の本名は植村宗一で、植村の「植」を二分して、「直木」を筆名にした。その時、31歳だったので、直木三十一と名乗り、年齢とともに三十二、三十三と筆名を変えた。三十三を使用していた頃、料亭の仲居が「三十三」を「みとみ」と読み、「粋な名だんなのような名前」と呼んだという。

 これに直木は「女との苦労断てる暇はあるまいと思われる」と危機を感じ、「三十五」へとペンネームを変更した。笑い話ではあるが、酒を飲めない客が料亭で「粋な名だんな」と呼ばれるほど親しまれていたことは、彼の特異な存在感を物語っている。下戸にもかかわらず料亭に通い詰めた直木の振る舞いは、現代のビジネスパーソンにもきっと参考になるはずだ。

失敗続きでも惹きつける
直木の「人たらし力」

 直木は大正から昭和初期にかけて活躍した作家であるが、作家として本格的に活動したのは人生の最後の5年間に過ぎない。それまでは出版事業を起こしたり、映画製作に関わったり、実業家として活動していたが、ことごとく失敗した。

 だが、不思議なことに、事業で何度失敗しても、直木には人がついてきた。他人のお金で会社を立ち上げ、一銭も出資していないのに2社の取締役に就任するなど、現代ならばともかく、当時の常識では考えられないことを平然とやってのけた。

 実業家であった彼が作家として活動を始めたのは、最終的に書くことしか残らなかったからだ。失敗に失敗を重ね、他に選択肢がなくなったのである。結果的に彼は当代きっての人気作家になり、現代でも直木賞として名を残すが、彼の小説は読み継がれているとはいいがたい。ただ、それは決しておかしなことではない。直木の真価は小説よりもむしろ、その破天荒な生き様と類稀なる「人たらし力」にあった。作家で文藝春秋の創業者の菊池寛が直木賞を立ち上げたのも直木の生き様に惚れたからである。

 直木という人物は知れば知るほど不思議な人物である。植村鞆音(直木の甥)によれば、直木は「小心にして傲岸、寡黙にして雄弁、浪費家で稀代の借金王、口説き下手の芸者好き」という矛盾だらけの人物だった。