落合陽一氏と田中慎弥氏落合陽一氏と田中慎弥氏 提供:徳間書店

「好きなことを貫け」と言われても、それだけでは人の心は動かせない。逆に、大衆受けばかりを狙えば作品は平凡になる――。では、自分の「好き」と多くの人に届く「わかりやすさ」は、どう両立させればいいのか。小説家・田中慎弥とメディアアーティスト・落合陽一がたどり着いた答えは、「週刊少年ジャンプ」のヒットの法則にあった。※本稿は、小説家の田中慎弥、メディアアーティストの落合陽一『堕落論 住めば都のディストピア』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。

自分の「好き」を
貫き通すのは難しい

田中慎弥(以下、田中):小説の新人賞の選考をしていると、おもしろがる力の重要性を強く感じます。

 政治的な正しさを備えた意見をぶつけてくる作品もいいのですが、最も強く惹かれるのは「何だこれ?」という作品です。どこにも行きつかないし、立派な意見も盛り込まれておらず、小説としてもほとんど破綻しかけているのに、なぜか惹かれる。そういう作品からは作者自身が書くことを楽しんでいるのが伝わってきます。

 作者がおもしろがっているものがいちばん強い。それでデビューして、そのまま書き続けられれば幸せですが、職業としてやっていくと、おもしろがる能力がすり減っていくこともあるから難しいところです。

 いろんなしがらみやアドバイスに従ったり、世間の目や評判を気にしているうちに、自分が何をおもしろがっていたのか、どういうことをやりたかったのかわからなくなってしまう。

 何かを生み出して創作をする人間は、周りに合わせるばかりではなく、たとえだれにも理解してもらえなくとも自分の「好き」に向かって突き進む愚直さを失ってはいけない。すこしくらい評判が悪くても、または見向きもしてもらえなかったとしても、自分を曲げてまで周りに合わせるのはどうかと思います。おもしろがる力を見失ってしまっては、創作を続けていくことができなくなってしまいますから。