作家の芥川龍之介作家の芥川龍之介 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

芥川龍之介をはじめ
多くの作家を輩出

 東京東部の墨田区は明治時代初めから人口が急増し、繁華街もできた。そこに1901年に設立された東京府立第三中学校が、都立両国高校の前身だ。文化勲章の受章者を5人出すなど、多くの文化人を輩出してきた。

 この学校を象徴する卒業生は、今年3月で生誕130年の記念を迎えた作家の芥川龍之介だ。『羅生門』『鼻』など多くの名作を残し、35歳で自ら命を絶った男だ。

 1年遅れて7回生として三中に入学した。文筆に優れ、よく書物に親しんでいたという。旧制一高に推薦で入学、東京帝国大学(現東大)文科大学英文学科を卒業した。

 200に余る短編小説を書くが、長編は書かずに終わる。『本所両国』には三中も描かれている。両国高校の校内には『大川の水』の一節を刻んだ碑がある。

 1927年に「将来に対する唯ぼんやりした不安」という有名なフレーズを残して自殺した。その8年後の35年、旧制一高以来の親友だった文藝春秋社主の菊池寛(香川県立高松中学・現高松高校卒)が芥川の名を冠した新人文学賞の芥川龍之介賞と、直木三十五賞を設けた。数ある文学賞の中でこの2つが最も権威あるものとされ、文壇の登竜門になった。

 三中・両国高校の卒業生で芥川賞を取った小説家は出ていないが、直木賞の方は半村良、石田衣良の2人が受賞している。