講演では壇上で震えるほど内気だったが、それを隠すために寡黙になったり傲岸になったりした。電話料金も払えず電話機が外されるほどの経済状況でありながら、高価な丸梅のおでんを取ったり、越後屋から着物が届いたり、外出はいつもハイヤーという贅沢な生活を続けていた。学生時代から、カネがないにもかかわらず、来客があれば酒やビール、肴を出し、寄席や芝居にも頻繁に足を運んだ。終生、この姿勢は変わらなかった。
文士たちに評価された
型破りで記憶に残る宴席の演出
直木が菊池寛や芥川龍之介といった文壇の大物と知遇を得たきっかけは、直木が出版社を起業する前までさかのぼる。勤めていた会社で企画した文士の講演会だった。菊池や芥川、久米正雄などを招き、直木が案内役を務めた。当時の接待といえば料亭で夜通し豪遊が定番だったが、直木の接待は違った。菊池たちが飲んでいい気分になっていたら、真夜中に無言でいきなり山の中の遊里に連行した。常識とはかけ離れたスタイルだった。
この一見無謀とも思える演出が、「いったい、あれはなんだったのだ」と、かえって作家たちに強烈な印象を残した。菊池寛は直木を「面白いヤツだ」と評価し、生涯にわたって交友関係が続いた。
現代のビジネスシーンに置き換えても直木のプランは有効だ。誰もが同じような高級レストランで接待する中、あえて下町の老舗居酒屋を選んだり、自宅で手料理を振る舞ったりする。一見リスクのある選択だが、相手の記憶に深く刻まれ、「あの人は他とは違う」という印象を与える可能性が高まる。
直木の演出が成功したのは、単に奇をてらっただけではなく、相手を深く観察し、どうすれば喜んでもらえるかを真剣に考えていたからだ。山の中の遊里という選択も、刺激を求める文士たちに非日常の体験を提供したいという配慮があった。
借金まみれでも贅沢をやめない
欠点を隠さない直木の美学
昭和初期の料亭は、(1)料理を作る厨房、(2)大小の宴を開ける座敷、(3)近くの検番から芸者を呼べること、という3つの条件を備えた高級社交場だった。お座敷は通常約2時間で、会席料理と芸者衆のお酌での会話、芸者の踊りや唄の鑑賞、お座敷遊びという3つの要素で構成されていた。







