
告知をするべきか否か、りんと直美の考えは
「私のときは言ってよ」と直美。
「いろいろ思い残すことがないようにやっておきたいから」という理由で。
病気や余命の告知をどうするか。それには様々な考え方があるだろう。
りんは「どっちでもいいかな」と言う。
「お母さま(水野美紀)や環(英茉)、安(早坂美海)や直美さん、みんなが悔いのないほうで」
りん「だって、残された方は生きていかなきゃなんないでしょ。だから、生きていくみんながいいほうでいいな」
直美「それは思いつかなかった」
りん「お願いします」
直美「うん」
直美はりんのあくまでも利他的な心に感心したようだ。
死ぬとき、自分の気持ちはどうでもいい。見送る人の気持ちを優先する。
それは確かに一理ある。死ぬ側は、もちろん死に至るまでは身体もメンタルも苦しい。だが死んだら、すべてなくなる。
不思議だが、いま、「私」として考えていることは一切なくなるのだ(死後の世界の真実は誰もわかっていないけれど)。
だからこそ、残された人のことを考える。りんの考えは理にかなっている。りんはテイを見て、そう感じたのだろう。
これは、看護婦として、人として、死をどう迎えるか、問題提起になっている。と同時に、ドラマの後半、りんと直美の晩年のフラグにも思えてくる。
ドラマは、ふたりの寿命がくるまでを描くつもりで、それぞれの理想の臨終を語らせているのではないか。そのときが来たら、第70回でふたりはあんなことを言っていたなと視聴者はしんみり振り返るだろう。
「あらやだ、私たちいつも一緒にいるの?」
死ぬまで一緒にいるかのように仮定した会話を、直美はおかしく感じる。
はたして、りんと直美はどちらかが死ぬまで一緒にいるだろうか。つまりどちらかが相手をみとることになるだろうか。その場合、直美は悔いなく終活を終わらせていて、りんが逝くのを見守る残された人たちには直美のほかに誰がいるのか。いずれにしても、悔いを残さず生きることができるかが肝要だ。
そんなことを考える折り返し地点である。
まったくの余談だが、人が死んだとき、「私」たちの思念(?)は、ほんとうにあとかたもなく消えてしまうのか。不思議でならない。







