そもそも、散歩は歩くことですし、お金もかかりません。考えみたら、1日の中で歩いている時間を、散歩としてしまえば、時間だってさほどとらないでしょう。実はちょっと歩いてみよう、なんてことは、“なんとなく”すでにやっていることだったりするかもしれません。
そのようなボーッとして、実は内面でいろいろな脳の領域が活性化している状態を、脳科学ではデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼んで、その揺らぎの時間が、創造性と関連することに着目しています(岡野憲一郎『揺らぎと心のデフォルトモード ―― 臨界状況から生まれる創造性』岩崎学術出版社)。
現代は、主体的に意識して、何かをする(doing)に価値をおきがちな時代ですので、“なにげなく”“ただそうなっている”(being)に、あまり価値をおきません。
というか、この“なにげなく”(being)は、意識してそうしようと思ったら、とたんに“やってみよう”(doing)に変貌するので、少し扱いがやっかいです。でも、そんなやっかいさを感じながらでも、歩いていくとよいかと思います。
「何もしない時間」が
心を回復させてくれる
散歩は、“doing”が、“beingになったり、また、“doing”に戻ったり、そんな、“ふらふら”する営みです。
同書より転載 拡大画像表示
この“ふらふら”が散歩では特徴的なものとなりますね。そんなことも連想させる散歩の営みを、時間のない受験生たちが、なにげなく気分転換にしていることが、とても印象的です。
“being”と“doing”は、心理支援でいえば、介入(doing)よりも、その人とどう共にいるか(being)を大切にしたいという、気づきにもつながります。日本の心理職にとって重要なテーマです。臨床心理学の偉大な先生方が、何度も語ってこられました。たとえば、河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)などが、読みやすいでしょうか。
左右交互に足を動かす
リズムが心地よい理由
ところで、どうして、散歩は、気分転換と相性がよいのでしょうか。
『歩くと心が軽くなるのはなぜか――散歩の心理学』(元永拓郎、筑摩書房)
そもそも、どんな散歩が、より気分転換となり、どんな散歩は、あまり楽しくないのか、そんなことも、考えるようになりました。散歩は、軽い運動としても意義があるので、その運動の効果が現れているのでしょうか。
そういう面もあるかもしれませんが、どうも、それだけではないようにも思います。何となく歩く、その気ままさが、やはりよさそうです。
気ままに歩くっていっても、歩くこと自体が、左足を前に出して、次に右足を出して、右手と左手が交互に揺れてと、なかなか高度なリズミカルで、バイラテラルな(左右交互の)バランスをとりながらの動きです。それなりの高度な操作が必要かと思います。
でも、そんな複雑な歩くことを、気ままに行うことができる。私たち人類は、なんて、すごいのでしょう。
高度な二足歩行をしながら、気ままに、そしてボーッとすることを感じることができる。歩いているからこそ、気ままな気持ちでいることができるのかもしれません。







