この「原因帰属理論」の構造は、発達障害のある人への理解にも通じるものがあると感じています。たとえば、ADHDの診断のついている後輩が、約束の時間に遅れてきて、その後輩が言い訳をせず自分の過ちを素直に認めて謝罪してきた場合、「これは彼のADHDの特性によるもので、統制が難しい部分なのだ」と理解できるかもしれません。
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ADHDの診断が信頼関係構築の
きっかけになる可能性も
これは「内的で統制不可能」という原因であることと、原因帰属が一致(相手もあなたも同じものが原因だと考えている)しているからであり、「仕方ない、次は先輩の自分がフォローすればいい」と思える場合もあるでしょう。
しかし反対に、特にADHDなどの発達障害の診断がない後輩が理由もなく遅れてきた場合「社会人ともあろう者が、マナーがなっていない」と「内的で統制可能」(自分が原因で、コントロールできる状態)によるものだ、という気持ちから苛立ちが生まれるかもしれません。
それがなおさら、「自分のせいじゃない、上司がリマインドしてくれなかったからだ」つまり「外的で統制不可能」(自分に原因がなく、コントロールできない状態)だったから遅れたのだ、などと主張してきたらどうでしょう?あなたの中では「いや、それは完全に君の注意不足だろう」と後輩とあなたの原因帰属の不一致によって、否定的な感情がさらに強くなるはずです。
つまり、物事の原因が相手とあなたの中で一致していることと、また、それが相手にとって統制不可能であるとあなたが認識できた場合、怒りではなく理解につながりやすいということです。
『発達障害を正しく知る』(松浦有佑、幻冬舎)
このような場面で、発達障害の診断による本人の理解と、それに基づいた周囲の理解があることで、周囲から「発達障害の特性によるものなのだ」と受け止められやすくなります。
つまり、「統制不可能な要因」として人から認識してもらうことで、本人が不要な誤解や責めを回避できる可能性が高まるのです。
もちろん、「診断があるから責められるべきではない」と一方的に考えることを推奨しているわけではなく、発達障害があっても支援や工夫によってある程度の対処が可能な場合もあります。
しかし、原因がわかったことへの安堵に加えて、周囲からも理解されやすくなり良い関係を構築するきっかけにもなるという意味では、大人になってからの診断にも、大きな意義があるのではないでしょうか?







