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「でも、先生は娘に触ったんですよね?」――母親のその一言で、教師の説明は止まった。階段でふらついた女子生徒を支えるため、とっさに伸ばした手。転倒を防ぐための行為だったはずが、保護者にとっては「娘を傷つけた出来事」として受け止められていた。安全確保と配慮、善意と受け止め方。その間に横たわる深い溝は、いまの学校現場が抱える難しさを象徴している。作家・西岡壱誠氏が各地の中学校や高校の教育現場で見聞きした実例をもとに、教師と保護者の対話がなぜすれ違うのかを考える。※本稿は、作家の西岡壱誠『カスハラ化する保護者たち』(星海社)の一部を抜粋・編集したものです。
体調不良の生徒を
守ったつもりが……
A教頭の携帯電話が鳴ったのは、放課後の職員室だった。
画面に表示されたのは、若手の体育教員、B先生の名前だった。
「A教頭、少し……お時間よろしいでしょうか」
普段は明るい声の彼が、そのときはひどく弱々しかった。
私はすぐに異変を感じた。
「どうした。何かあったのか」
「保護者から連絡が来まして……。たぶん、自分の対応が悪かったのかもしれません。でも、何が悪かったのか、自分でも分からなくて……」
B先生の顔色は青かった。
まだ20代後半。教員5年目の、真面目で一生懸命な青年である。生徒からの信頼も厚く、授業も部活動も手を抜かない。そういう若い教員ほど、ひとたび保護者対応でつまずくと、自分を責めてしまう。
「順番に話してくれ」
B先生は何度か言葉を詰まらせながら、その日の出来事を説明した。
体育の授業中、2年生の女子生徒が顔色を悪くしていた。
立っているのもつらそうで、「先生、保健室に行きたいです」と訴えた。B先生は授業を他の教員に任せ、その生徒を保健室へ連れていくことにした。
ここまでは、何の問題もない。いや、学校現場の感覚でいえば、むしろ当然の対応だ。
問題は、その先にあった。







