堀内 いい時期に野球をやっていたけど、ONがいたからだろうね。だって、ひどかったのは、(1972年に)26勝したんだよ。で、シーズン通して25以上勝ったのはオレが最後のピッチャーなんだよ。だって、マー君(田中将大、巨人)だって(楽天時代の2013年は)24勝なんだから。

 この年(1972年)の年俸は1200万円だった。川上さんが「堀内、(年俸を)上げてやるから(契約更改に)行ってこい」って言ってたから、「よっしゃ?!」と思って球団事務所に行って契約書を見たら「1800万円」って書いてあるの(笑)。

「ちょっと待ってください、1800万円上げてくれるんじゃないんですか?」って球団の人に聞いたら、「600万円しか上がらない」って言うんだよ。おかしいだろ?

 結果、この年の契約更改はもめたんだよ。でも、川上監督の奥さんに、オレのおふくろが「早く契約したほうがいいですよ」って言われて契約しちゃったんだ。

江本 へえ~……(絶句)。

堀内 誰とは言わないよ。それで(春季)キャンプだよ、次の日から。この年(翌1973年)は12しか勝てなかった。

契約更改の不満と不調を抱え
堀内恒夫は日本シリーズへ

堀内 結局、この年は調子の戻らないまま日本シリーズに突入してね。

江本 このとき、オレ、南海(のピッチャー)だったから。(ホリは)シーズン中、調子悪かったよね。あっ、そのときか。

堀内 そう、そのときよ。1戦目に負けたのよ。(先発ピッチャーは)江本かな?

江本 オレが完投勝ちしたの。それで「巨人はたいしたことないな」って言ったら、なんのことはないよ。ホリがバカバカ打つわ、投げるわでさ。まずホームランでやられたんだよ。あのときは松原(明夫、現・福士敬章)だったかね?

堀内 そう。2本目は中山(孝一)だったかな。

江本 2戦目、投げたでしょう?リリーフで?その次の3戦目でホームランを打たれたんだ。

堀内 1戦目が(高橋)一三さんで、2戦目が倉田(誠)、2戦目は投げる予定ではなかった。で、2対1で巨人がリードしていた7回裏の南海の攻撃で、ノーアウト満塁のピンチが訪れた。ベンチはオレと新浦(壽夫)をブルペンで投げさせていたんだけど、川上さんはシーズン中、不調だったオレを使う気なんてまったくない。

 でも、ブルペンキャッチャーの淡河(弘)さんが「この場面は絶対、堀内だ!堀内で負けたら、しょうがないでしょう」って言ってくれて。それでオレがマウンドに上がった。

 最初(ウィリー・スミス)をレフトの犠牲フライに打ち取って同点にされたんだけど、次の桜井 (輝秀)をピッチャーゴロで1-4-3のダブルプレーで、その後のピンチを脱した。最後は延長11回表のワンアウト二塁という場面でオレに打席が回ってきて、センター前にタイムリーヒットを打って試合を決めたんだよ。

江本 なるほどね。

堀内 それで3戦目にオレが先発したんだけど、門田(博光)の打球がピッチャー目がけて来たので、オレは右肩を出して、ボールを叩き落としてアウトにした。あのときはね、(右)肩やられたと思ったね。

江本 いまね、昭和48年(1973年)の日本シリーズの話だけど、(オレがプロ入りしてから)南海が唯一の優勝で、オレはいつも話しているんだけど、相手側(巨人)の話を聞くのは初めてなんだよ。ただ、(当時の)印象は、堀内に投打でボロボロにやられた印象なんだよ。しかも初めて聞く話だし、懐かしいっていうかさ、いまの人は知らないんだよ、オレたちの話を。