
シマケンはもうおじさん?
新潟行きを決めたものの不安なりん。
捨松に舎監とはいえ生徒に教えることもあるだろうと言う。「新潟の女学生たちに教えられることは少なくありません」と。だがそれはりんにとってはますます重荷。人にものを教える自信がないのだ。なにしろ間違ってばかりだから。
「無理に何かを教えようとせずともよいのです」と捨松は励ます。
日本で看護という仕事を認識させ根付かせていくために並々ならぬ苦労があり、その渦中にいた「りんさんの姿そのものが女学生たちにとっては、何よりの手本になるはずです」と言う。
これまで男性がやっていた仕事を女性もやるという事象はあるが、看護婦は、看護という日本では未知なる仕事を女性たちが先んじてはじめたものだという捨松の言葉は興味深い。女性が自ら新しい仕事を形作ったことに意義がある。
「容易ならざる道に引き込んだ自覚は私にもあります」とまたぎこちない文語調なセリフ。そうか、捨松は英語暮らしが長く日本語を忘れてしまっている設定。だから堅苦しい日本語になるのだろう。
「負けを知っちょる者はみなやさしか」と巌(髙嶋政宏)は捨松に言う。戊辰戦争で勝った薩摩藩の
彼が言うことに意味がある。
捨松に励まされて戻ってきたりん。シマケン(佐野晶哉)と出くわす。そのときのシマケンはものすごくビビったような顔になる。りんが新潟に行くと知って呆然としているのだった。自分が書評で稼いで、細い大黒柱になろうとしていた矢先、りんが自分の傍から遠く離れてしまうと知ったら、ショックはいかばかりか。
でも、りんの決心を応援するしかないので、考えた末、「僕は、僕は“おじさん”になる」とシマケンは言う。
りんは、それを年齢的なものと捉え「いやまだおじさんという年では」と言う。この時代、「おじさん」という概念――親戚の叔父さんではなく、中年の男性を「おじさん」とやや蔑称的に呼ぶ習慣があったかはわからない。
シマケンは、家族に近い存在としての「おじさん」と言う。
「環ちゃんにとってよく顔を見せる、おせっかいな何者でもないおじさんになります」
シマケンは「何者でもない」ということにこだわり続けている。
槇村もチュウもみんなで「おじさん」になるというシマケン。直美といい、シマケンといい、悩みなく、自分が代わりにりんの家庭を支える!と考えることに注目したい。麗しき隣人愛。助け合いの精神。
りんは直美と環と福笑いで遊ぶ。福笑いの顔は第74回でシマケンが例に出したおかめの顔だ。その輪郭に顔の部位を並べる遊具。並べ方によっていろいろな表情になる。りんの定番の笑顔もこんなふうにシャッフルされて開放されていくといい。
第76回の冒頭といい、この週、がぜん、画(行間)が豊かになっている。内田演出、すばらしい。
こうしてりんは新潟へ旅立つ。旅立ちの朝、美津は餞別に、黒いきれいなかんざしを髪に差す。
気持ちいい風が吹く、まっすぐな道をりんが歩いていく。途中にお地蔵さまが見守っている。
新潟編のはじまりが週頭ではなく、週半ばであることも興味深い。








