そして行名を見てお気づきのように、今も残っている銀行は1行もありません。この三十数年間で、日本の金融業界が大きく変わった証拠でもあります。

日本がバブルに向かうなか
商社は「冬の時代」だった

 バブルピークの1989年、前述したように世界企業の時価総額上位には、日本の大手銀行が軒並み顔を揃えていました。銀行は我が世の春を謳歌していたのです。

 でも、そんな時代に真冬を迎えている業界がありました。今をときめく総合商社です。

 あの、世界的な投資家であるウォーレン・バフェット氏がここ数年で、積極的に投資を進めてきた日本の商社は、私が就職活動をしていた時代、本当に厳しい状況に直面していました。

 なぜその頃、商社はそこまで厳しい状況に追い込まれていたのでしょうか。

 商社の基本的な役割は、海外貿易における仲介です。日本企業が海外から原材料を輸入する、あるいは日本企業が製品を海外に輸出する際に、その仲介を当時の商社が行っていたのです。そこから得られる仲介手数料が、商社の主な売上でした。

 しかし、日本が高度経済成長期を経て1970年代に入ると、自動車メーカーにしても家電メーカーにしても、独自で海外展開を行うようになりました。

 そうなると、多額の仲介手数料を払って商社に輸出入の仲介を行ってもらう必要がなくなります。自分たちの手で行えば、手数料を払わなくて済む分だけ製品価格を安くできますし、自分たちの利益も確保できるのです。

 こうしてモノを右から左へ流すことにより、仲介手数料を取っていた商社の仲介機能は不要となり、多くの商社が経営難に陥りました。

 1980年代は円高の時代です。円高が進めば、日本から海外への輸出が厳しくなります。ドル建て価格は変わらなくても、円高になれば円ベースの収益は目減りせざるを得ません。日本の輸出企業にとっては、ますます商社に仲介手数料を支払う余裕がなくなっていきました。

 加えて言えば、円高の進行によって徐々に日本の製造業は、海外に生産拠点をシフトさせていきます。日本でつくって海外に輸出するのではなく、現地で生産して現地で販売するようになったのです。