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The Legend Interview不朽
「ダイヤモンド」は太平洋戦争末期の1945年5月、東京大空襲で社屋が全焼し、長期休刊を余儀なくされた。その後、敗戦を経て同年11月に復刊する。今回は、その復刊号(45年11月1日号)に掲載された社説を紹介したい。筆者はダイヤモンド社創業者の石山賢吉(1882年1月2日~1964年7月23日)である。

 敗戦の虚脱感が社会を覆う中、石山は日本経済の再建をいかに進めるべきかを論じている。復興への強い決意と現実を直視する冷静に分析、そして新しいものづくりに対する提言には、後の「メイド・イン・ジャパン」の高品質神話を先取りする視点が見て取れる。

 社説は、民主主義の受容、軍需産業から平和産業への転換、自由競争を基盤とする経済体制への移行を再建の前提として掲げている。しかし、中でも印象的なのは、後段で語られる「高価でも堅牢な物をつくれ」という提言である。石山は、日本製品が「安いが品質が悪い」と見られている現実を率直に認め、さらには「ろくに飛べる飛行機が少なかった」ことも敗戦の一因だったと厳しく指摘する。そして、「安かろう悪かろう」の製品では、資源に乏しい日本が新たな経済国家として立ち直ることはできないと警鐘を鳴らしている。

 その背景には、敗戦による領土喪失と大量の引き揚げ者の帰還によって生じる「超・人口過剰」という、戦後日本の厳しい現実があった。石山は、安価な労働力に依存した薄利多売のダンピング競争では未来は開けないと考えたのである。だからこそ、技術によって「堅牢さ」、すなわち品質を追求することを、日本経済再建の柱として位置付けた。

「価格競争ではなく、丈夫で信頼される製品づくりこそが日本の進むべき道である」という思想転換の呼びかけは、まさに戦後日本のものづくり精神の原点といえるだろう。

 その象徴として社説の後段では、戦時中に培われた高効率の製造技術(精密鍛造など)を自転車製造へ応用しようとする企業の試みを紹介している。軍事目的で開発された技術を平和産業へと「スピンオフ」させ、限られた資源の中で高品質と低コストを両立させる――。そこには、後に世界を席巻する日本の製造業の原型ともいえる産業モデルが、すでに描かれている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

敗戦による物心両面の痛手
今後何十年も続くと覚悟せよ

 大東亜戦争において、われらの日本は、無残にも完全に敗北した。軽率だった戦争の動機について、今国民は総ざんげさせられつつあるのである。

「ダイヤモンド」1945年11月1日号「ダイヤモンド」1945年11月1日号

 ドイツのごときすでに敗戦の歴史を持つ国柄においても、なお重なる敗戦の痛苦は軽からぬものであろうが、わが国においては肇国以来二千六百有余年、初めての敗戦。それだけにこの敗戦の痛苦は実に甚大で、到底、他国民の想像を絶するものがあるのである。

 いかなる雄弁宏辞をもってしても、この物心両面の痛手を的確に表現することは至難である。しかも、この痛苦は、今後幾十年にかけてさらにさらに加重されるだろうことを覚悟しなければならない。