二点目は、「学力」の定義に関する議論が十分熟していないことである。今の日本の教育は「学習指導要領」にどっぷり浸かってしまっているがために、「学力」を学習指導要領の範囲でとらえがちである。この枠を外した学力調査のあり方を考えてみよう。

 たとえば、昨今の小中学校で盛んに行われている「協働的な学び」で求められる「学力」が、従来の教科教育で育成したい「学力」と相違した概念であるかもしれない。それゆえ、協働的な学びを目指した学校において、教科教育を題材として測られた「学力」が低下する事態が生じるかもしれない。

テスト結果は子どもを
従わせる道具になる

 三点目は、教育分野において、量的データを用いた大規模調査における因果推論の経験が不足していることである。

 定量指標に基づく研究では、「なぜ学力に差が生じたのか」を「探索的に」検討することよりも、これまで研究者が推測してきた「学力を高める/低める要因」から仮説を導き出し、その仮説を検証することが主眼となる。何の仮説も立てずに学力差の影響要因を探索的に研究することは、大規模調査ではあまり行われず、授業研究や小規模なサンプルによる研究を通じて行われることが多い。

 四点目は、調査の目的にもよるが、学力調査の結果として成績を「児童個人や保護者に返そうとしないこと」でした。プレビュー時に版元さまに要確認)」である。

 実際、PISA調査(編集部注/OECDが3~4年ごとに実施している国際的な学習到達度調査)は受検者に結果を返していない。大人と子どもとの約束で「学力調査は、学校をよくするため『だけ』に使うんだよ」ということであれば、子どもに成績を返す必要はないはずであり、その約束を果たさなければならない。パネル調査でないならば、個人の特定すら必要ない。現行の教育制度が適切なのかをモニターする目的や形成的評価のためだけに、調査結果を活用するのである。

「1人も取り残さない教育」が大事というのであれば、大人は子どもの視線に立って寄り添う姿勢を見せることが重要であろう。テストや調査に関する合理的・抑制的な考え方が大人の側になければ、テストや調査を「子どもを従わせるための道具」としてみだりに使うことが後を絶たなくなる。大人は十分このことを理解し、学力調査と向き合っていく必要がある。