自衛隊のイラク派遣が決まったとはいえ、自分の身すら守れない装備で自衛官を行かせるなどあってはならない。そこでどうしたかというと、国内企業に頼み込んだのです。派遣の決定された日までわずか3か月しかなく、その短期間で数千着を作らなくてはならないという難題でした。
「やりましょう」
関連企業は製造ラインを昼夜フル稼働させ、防弾チョッキ作りが始まりました。ラインといってもオートメーション化されているわけではありませんので、大半は手作業になります。その作業を数週間続け、期日までに成し遂げたのです。
国内企業ならではの「強み」と言ってもいいのは、その後のことです。
「テレビにイラクに派遣された隊員さんが出るとみんな大興奮でした」
危険な任務に赴く隊員たちの装備を自分たちが作ったという誇りと責任感。その彼らに必ず無事で帰って来て欲しいという祈り。そうした思いを家族のように込めていたのがこの人たちだったのです。
平成3年に自衛隊が初めて海外に赴いた海上自衛隊の掃海部隊ペルシャ湾派遣では、木造の掃海艇で遠路航海したのですが、一度も海外旅行をしたことがないという職人さんたちが、装備品が壊れたもしもの時のために密かにパスポートを取得していたとも聞きます。
桜林美佐『軍産複合体:自衛隊と防衛産業のリアル』(新潮社)
イラク派遣ではこんな話もありました。カナダ軍兵士が防弾チョッキを着けたまま川に落ち溺死するという事故が起きたのですが、これを受けて国内企業ではすぐ、緊急時に速やかに取り外せる機能を付ける研究を始めました。そして4か月後には紐を引くだけで脱衣できる「クイックリリース」型への改良に成功したのです。
因みにイラク派遣時には車両の防弾板も改修が必要となり、国内企業で緊急調達しています。自衛隊が海外で活動する時には、表には出てきませんがこうした防衛産業の物語が必ずあると言っていいと思います。
東日本大震災では、福島第一原発に陸上自衛隊がヘリで散水を行いましたが、防護マスクを付けたままでの無線交信は聞き取り難く、それを知った製造企業が数日後にマスクの中にマイクを取りつけて届けたという話もありました。
急なニーズ、小ロットでの生産、自衛隊に必要なものを先回りして考える、そして自衛官の無事を祈る。良くも悪くもこれまでの防衛産業は、ある時は友となり、そして父となる、自衛隊が甘え頼ってきた存在だったのです。







