しかし、1950年代後半には、タバコとがんの因果関係を示すデータが集まっていく。

 第2の局面(1964~1970年代)は、疑念を生み出す段階である。1964年になると、米公衆衛生局長官が『喫煙と健康』を発表し、20世紀における肺がんの発生率の高まりの主な原因は喫煙であり、肺気腫・気管支炎・心疾患のリスクを高めるとの認識を示した。

 これに対し、タバコ業界の側は、議論のバランスを重視するジャーナリズムをうまく利用しつつ、タバコとがんの因果関係をめぐる個別の事実に疑問を投げかけることで、この問題がまだ論争中であるかのように見せかけることを目指した。

 第3の局面(1980年代~1990年代半ば)は、科学を掘り崩す段階である。この時期には、新たに受動喫煙の有害性が問題になっていた。1981年に、疫学者の平山雄が、喫煙者の夫を持つ日本の女性の肺がんの死亡率が、非喫煙者の夫を持つ女性よりも高いことを示す論文を発表する。タバコ業界の側は、この種の研究を「悪い科学(junk science)」として貶め、規制を進めるのに都合が良いように証拠の認定基準を操作していると指摘するようになる。つまり、通説側の科学のあり方自体を問題にしたのだ。

 第4の局面(1990年代半ば~)は、有害性はニュースではないと開き直る段階である。この時期には、タバコの有害性を示す証拠を否定することができなくなる。そこでタバコ業界は、有害性を問題にすることを止め、危険な製品を販売する責任あるメーカーとして振る舞うようになった。

味方になる科学者を確保して
有害性をめぐる認識を曖昧化

 タバコ業界の広報戦略の特徴は、科学研究を動員したことにある。研究機関を設立したり、雑誌を発行したり、研究助成を行ったりすることで、タバコ業界の味方になる科学者を確保していった。とはいえ、そこで目指されていたのは、タバコ業界に有利な結果を無理に発表させるよりも、むしろ、タバコの有害性をめぐる認識を曖昧化することにあった。

 科学史家ロバート・N・プロクターは、その方法を2つ挙げている。

 1つは、タバコと健康の問題に関係がありそうで、実際には関係のない研究に資金を投じることだ。この問題と直接は結びつかない生化学の基礎研究(例えば、がんの発生プロセスの研究)に資金を提供することで、問題を検討中だと言い逃れられる。