厚労省村山次官Photo by Fusako Asashima

8月4日、厚生労働省の新事務次官に前職業安定局長の村山誠氏が就任した。旧労働省出身者がトップに就くのは、村木厚子氏以来11年ぶりのことだ。1990年に旧労働省へ入省した村山氏は、バブル崩壊後の雇用危機、就職氷河期、働き方改革、コロナ禍、そしてAI時代まで、36年間にわたり日本の労働行政の最前線に立ち続けてきた。「労働行政は時代とともに役割を変えてきた」と語る村山氏に、日本の労働政策36年史の転換点、高市政権が進める裁量労働制見直しの着地点、AI時代の労働テーマなどについて聞いた。(メディア編集局論説委員 浅島亮子)

旧労働省出身は歴代次官18人中5人だけ
旧厚生系トップが続いた理由

――厚生労働省の発足以来、歴代18人の事務次官のうち旧労働省出身は村山さんで5人目です。村木厚子氏以来11年ぶり(8代ぶり)の就任ですが、このタイミングで厚労省を率いることには、どのような意味があると考えていますか。

 私が就任したのは、たまたまの巡り合わせです。近年、厚生系の次官が続いた背景には、新型コロナウイルスの影響が大きかったと思います。コロナ禍では、ワクチン接種をはじめ、医療や公衆衛生への対応が最優先課題となったので、そうした時期に厚生系出身者がトップを務めたのは、ごく自然な流れかと……。

 厚労省が発足したのは2001年。それに先立つ1999年入省組からは、旧厚生系と旧労働系を一本化した採用を行っています。現在、省の中核を担っている課長クラスはその世代ですから、厚生分野と労働分野の双方を理解した上で政策立案に関わっています。旧厚生系、旧労働系という出身で語られる時代も、あと10年ほどではないでしょうか。

――早くから次官候補のエースと呼ばれてきました。中核部局である労働基準局での勤務が長いですが、36年間で最も印象に残っている仕事は何でしょうか。

 2018年に成立し、19年から段階的に施行された「働き方改革関連法」に携わったことです。人口減少が進む中でも多くの人が働き続けられる環境をつくるため、「時間外労働の上限規制」や「同一労働同一賃金のルール化」という二つの柱を軸に、日本の労働法制を見直す制度設計に関わりました。

 印象に残っているのは、国会対応や制度作り以上に、さまざまな「働く現場」のリアルな声を聞きながら制度を作り上げていったことです。例えば、夏場だけ仕事が集中する山小屋では、変形労働時間制を活用しながら上限規制を守って営業を続けられる仕組みを一緒に考えました。労働時間の管理が難しい芸能マネジャー、年賀状シーズンに繁忙を極める郵便局、収穫期に作業が集中するサトウキビ農家など、それぞれの実情に合わせて制度を設計・運用しました。

 中でも大変だったのは、トラック運転手の長時間労働への対応です。運輸業界には多重下請け構造があり、立場の弱い運送事業者は荷主との交渉力に乏しく、長時間労働が常態化しやすいという構造的な問題を抱えています。だからこそ、国土交通省と連携しつつ、産業界への働きかけを進め、業界全体で労働環境の改善に取り組む道筋をつくることができました。こうした構造的なテーマは、個々の企業だけでは解決できず、行政が産業界や関係省庁を巻き込みながら取り組む重要性を痛感しました。

――村山さんは1990年、バブル経済がはじける直前に入省しました。この36年間を振り返ると、経済情勢やテクノロジーの進化とともに、労働行政の課題は大きく変容しました。日本の労働政策は、どのような変遷をたどってきたのでしょうか。

 そうです。まさにバブル真っ盛りでした。90年の就業者1人当たり平均年間総実労働時間は2031時間(OECD調べ)で、2025年の1614時間と比べると400時間以上も長かった。当時は完全週休2日制を社会に定着させようという時代でしたから、今とは隔世の感があります。

バブル景気の末期に入省した村山氏。36年間の労働行政は、大きく六つの時代に分けられるという。「失業」と闘った時代から、「人手不足」、そして「AI」の時代へ――。日本の労働政策の変遷を振り返りながら、高市政権が掲げる労働市場改革や裁量労働制見直しの着地点、AI時代の労働問題の核心を聞いた。