AIの台頭により「人間だけにできること」の価値が問い直されている。身体を持たないAIには決して代替できない領域とは何か。それは論理を超えて身体に刻まれた強い意志であり、自らの偏りに気づいて行動を修正できる知恵である。情報があふれる現代において、人間らしく生きるための思考法を『すべて本能のせい』から読み解く。(ダイヤモンド社書籍編集局・菱沼美咲)
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AIには絶対に代替できないもの
私たちの身体知に向き合うということは、「人間とは何か」を改めて問い直す営みなのだと思います。
なぜなら、ダマシオの理論に耳を傾けてみれば、「私はどうしてもこれをやりたい」「これだけは人生で絶対に成し遂げたい」「理由は分からないけれど、これが大好きなんだ」という強い意志や、理由なく惹かれる気持ちこそが、私たちの身体に最も深く結びついたものであり、それこそ身体を持たないAIには、本質的に代替できない領域だからです。
私たちが日々の暮らしの中でなぜか強く惹かれるもの、夜眠る前にどうしても繰り返し考えてしまう大切なテーマ、他人に理由をうまく説明できないのにどうしても手放せない関心。
それらは、論理だけでつくられたものではなく、これまでの経験を通じて、身体に少しずつ刻み込まれてきた反応そのものなのです。
これとは逆に、周囲から与えられた価値観や、頭の中だけで組み立てられた目標は、身体との結びつきが弱いため、困難に直面したときに続けようとするエネルギーを失いやすいものです。
情報があふれる時代だからこそ、自分の思考や価値観の中で、何が身体に根ざしたもので、何がそうでないのか、その違いに目を向けることには、大きな意味があるように思います。
人間だけが持つ「自分をつくり直す知恵」
本書では、私たち人間の持つ遺伝子と、あまりにもハイスピードで激変してしまった現代の環境との間に存在する、数多くの深刻なズレを取り上げてきました。
しかしその一方で、そのズレの存在を自ら深く理解し、言語化し、さらには「自分の困った性質をどう上手に扱っていくか」といった、自分自身の扱い方を自らの手で柔軟に変えられる点において、私たち人間ほど、地球上で極めて特異で面白い存在はないのではないかとも強く感じています。
他の多くの生物たちは、周りの環境に適応することはできても、「いま自分の心の中で偏った反応が起きているな」と、自分の本能的な反応そのものを、客観的に認知し、環境をつくり直すことはしません。
しかし私たち人間は、自分がどのように間違えるのかをあらかじめ知っておくことができます。
そのうえで、日々の環境や行動の仕組みを主体的に調整することで、バグによる影響を、自分自身の知恵で変えていくことができるのです。



