「これはわざわざどうも」と、病人のほうも、丁重に対応する。だが、だんだん話が怪しい方向に展開していく。

「私もね、前はいろいろ病気になって大変だったの。でもね、これを飲むようになってから、ほら、この通り、ピンピンしてるのよ。あなたもちょっと試してみたらどうかな?薬じゃないから、身体によくないということはないし、ものは試しだから」

 そういう話になると、病人のほうは、「はあ……」と困った様子になる。なにしろ入院中だから、「私はこれからちょっと用があって」と、外出したりするわけにもいかない。逃げ場がないのだ。勧誘するほうはしつこいから、何時間でもしゃべっている。「ちょっと体調が……」などと横になろうとしても、「じゃあ、なおさら、今すぐこれをひとくち」とか言い出すから、始末におえない。

 その日の面会時間が過ぎても、また別の日に来る。何度でも来る。そんなこんなで、いつの間にか、妙なものを買わされていたり、けっきょく入信したりしてしまうことは、決して少なくなかった。

 宗教の勧誘をする人にとっては、病気の親戚や知人は、カモの中のカモ、逃せない魚なのだろう。

お金がない患者には
借金まで背負わせる

「私はお金がないから、大丈夫」と言っている人がいたが、そんなことはない。宗教や怪しい勧誘は、そんなに甘くない。お金がなくても、借金させる。

 また、当人からお金をしぼりとることができなくても、勧誘アリとして働かせる。今度は自分が、親戚や知人のところに勧誘に行かされるのだ。使い道はいくらでもあるわけだ。

 そうして、悲惨な姿になっていった人を何人も見ている。

 先にも書いたように、そういう人を軽蔑する気持ちはまったくない。ただ、かなしい。ただただ、かなしい。