なぜ霞が関の仕事では
「できない理由」が先に並ぶのか

 こうした構造的限界は、とりわけ外務省では顕著に見られる。外務省では国際法局(かつての条約局)が政策案の法的適合性を審査する立場にあり、新しい政策を立案する際には、原課は必ず事前に国際法局に諮る必要がある。本来であれば、国際法局は原課が進めようとする政策の方向性を理解したうえで、国際法の枠内でどのように実現し得るかについて助言する支援機能を果たすべき存在である。

 しかし現実には、「過去に前例があるか」「条約との形式的整合性を厳密にどう担保するか」といった点への過度な注意が優先されがちで、その結果、原課の政策形成における創意工夫や進取の気性が削がれてしまう場面が少なくない。国際法局が“守りの論理”を過度に強く働かせることで、前例踏襲が強化され、政策の選択肢が狭まり、「できる理由」よりも「できない理由」が先に並ぶという構図が生じてしまうのである。

 思い起こせば、私自身、入省1年目から外務大臣の国会答弁作成を任された。当初は、自分が作成した答弁を大臣が読むと思うと誇らしさを覚えたが、その高揚感はほんの数日で消えた。というのも、実際の業務の大半は、膨大な過去の答弁例を検索し、その表現をほぼそのまま引用・整理する作業だったからである。若手官僚は入省直後から「前例を正しく再生産すること」が仕事の中心になる。この環境では、政策をゼロから構想したり、戦略的に物事を考えたりする能力が鍛えられる余地はほとんどない。

 また、霞が関全体で毎年行われている予算要求のプロセスはこうした問題の象徴的な事例である。多くの役所にとって最大の関心事は、どれだけ予算を確保できたかであり、その評価基準は前年との増減や他省庁との比較に置かれがちである。そこでは、「そもそもこの事業は国家として本当に必要なのか」「別の分野に資源を振り向けるべきではないか」といった根本的な問いは脇に追いやられる。

 前例を守り、法令に忠実であろうとする姿勢は、一見すると慎重で真面目な行政の表れである。しかし、戦略とは本来、「何をやめ、何に集中するか」を選び取る作業であり、既存の枠組みを前提とせずに国家全体の利益を再定義する行為である。前例踏襲と法令遵守が自己目的化した瞬間に、創造的な戦略思考は強く抑圧されてしまう。