「トヨタの経営課題は3つ。ひとつは商品企画の遅れ、もうひとつは国内のシェアダウン、さらに海外進出が遅れている」
「何も変わらないのがトヨタの一番悪いところ」
「今のままではスピードが求められる国際競争を勝ち抜けない」
「クルマを変えるだけでなく、ビジネスモデルを変える」
こうした奥田の言葉は社内外に驚きをもって伝えられた。奥田は、これから世界が劇的に変化すること、自動車産業における優勝劣敗が鮮明になることを察知し、それに対してトヨタのスピード感が致命的に遅いという危機感を誰よりも持っていた。
トヨタ独り勝ちの土台をつくった
2つのクルマと鶴の一声
「決断・実行をいかに俊敏にできるかが成功のカギ」が奥田の口グセだった。日産自動車の凋落を横目に、「トヨタの敵はトヨタ」と内部の慢心を戒めた。
このような奥田体制下の最たる果実が、1997年12月発売、エンジンとモーターをフル駆動させるパラレル型ハイブリッド車「プリウス」である。「21世紀に間に合いました」のキャッチコピーで世界に大きな衝撃を与えた。
94年発足の「21世紀のクルマ」をつくるプロジェクトを、「開発を急げ、計画を前倒しして実用化せよ」という奥田の鶴の一声で、「赤字覚悟で発売に漕ぎ着けた」と当時チーフエンジニアだった内山田竹志(トヨタ前会長)は後に述懐している。
それから30年近くが経過した今、世界には電気自動車(EV)の波も押し寄せる一方で、プリウスシリーズは世界累計販売600万台超を誇る。トヨタ車販売全体の4割強をハイブリッド車が占めており、トヨタ独り勝ちはプリウスなくして語れない。
ただし、99年発売の世界戦略小型車「ヴィッツ」の成功も外せない。
奥田は、「トヨタは一丸となって生産性を上げてきたが、商品が『金太郎あめ』と言われているようでは情けない」「小型車市場でトップを取るぞ」とこちらもトップダウンで開発。このヴィッツの後継が「ヤリス」であり、世界販売累計1000万台超の偉業を達成している。
東京モーターショーで各社のブースを飾る低公害車。中央はトヨタのハイブリッド車「プリウス」(千葉・幕張メッセ)撮影日1997年10月25日 Photo:JIJI
東京モーターショーの一般公開の初日、注目を浴びる環境に配慮したトヨタ自動車のハイブリッドカー「プリウス」(千葉市・幕張メッセ)撮影日1997年10月25日 Photo:JIJI







