「ちゃんと考えて」と言われると、私たちは一人で頭をひねる姿を想像します。しかし、「考える」という言葉には、もともと「相手と交わる」という意味があったといいます。だとすれば、他人について「考える」とは、いったい何をすることなのでしょうか。本記事では、書籍『言語化だけじゃ伝わんない –––– 絵を描くように「考える・伝える」技術』の中からビジネスパーソンにも役立つノウハウとして紹介する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

「他人なんて、わからなくてもいい」という時代
私たちは以前よりも、圧倒的に多くの人とつながれるようになりました。
SNSを開けば、世界中の人の発言を見ることができます。知らない人が何を食べ、どこへ行き、何に怒っているのかまでわかります。
ところが、不思議なことに、「自分とはちがう人」と深く関わる機会は、むしろ減っているのかもしれません。
自分が興味のある情報だけを見る。
好きな人をフォローする。
気に入らない人はミュートする。
興味のない投稿は、そもそもタイムラインに出てこなくなる。
「自分とは合わない」と感じた人と、わざわざ付き合う必要もありません。
そうやって、自分から距離の遠い人は、少しずつ視界から消えていきます。
理解できない他人のことはますます見えなくなっている。
情報を取り入れるだけなら、生成AIで十分だという人も多いかもしれません。
生成AIならあなたのことをわかろうともしてくれます。
それに比べて、他人は自分のことをわかろうとはしてくれません。
だったら、「他人とコミュニケーションを取るなんて、面倒くさいだけだ」と思ってしまうのも無理はないような気がします。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
たしかに、他人とのコミュニケーションは面倒です。
こちらの意図を誤解する。
話を最後まで聞いてくれない。
こちらが興味のない話を延々としてくる。
自分の考えを押しつけてくる。
「だったら、わざわざ他人と話さなくてもいいじゃないか」と考えるのは、ある意味で合理的です。
しかし、ここでひとつ考えてみたいことがあります。
そもそも、「他人のことを考える」とは、どういうことなのでしょうか。
「考える」とは、一人で頭をひねることなのか
この「考える」という言葉をまったくちがう捉え方で説明した人がいます。
評論家の小林秀雄です。
評論家の小林秀雄が「考える」とはどういうことかを説明したことがあります。
まず、言葉の成り立ちについて語り、そのあとに意味を話しています。
ちなみに、ここで言う宣長とは、江戸時代の国学者、本居宣長のことです。
本居宣長の説を、小林秀雄が自己流に解釈し直して説明するくだりです。
「考える」の古い形は「かむかふ」です。(中略)「か」は特別の意味のない言葉です。「む」は「み」すなわち自分の身です。「かふ」は「交わる」ということです。だから、考えるということは、自分が身を以て相手と交わるということです。宣長の言によると、考えるとはつきあうという意味です。ある対象を向うに離して、こちらで観察するという意味ではありません。考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。『学生との対話』(新潮文庫p52)より
「考える」とは、自分の身をもって相手と交わるということ。
考える対象とつきあうという意味です。
つまり、相手のことを考えるということは、相手の頭の中のネットワークを、自分のネットワークとつなごうとすることなのです。
相手のことを考えたコミュニケーションは、単なる情報交換ではありません。
相手と良好な関係を築き上げることなのです。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
この「考えるとは、つきあうこと」という捉え方は、とても面白いものです。
考えることは、対象を遠くから眺めて分析することではない。
自分自身がそこへ近づいていく。
そして、その対象とのあいだに関係をつくっていく。そう捉えるのです。
「あの人は理解できない」で終わらせない
これは、人間関係にもそのまま当てはめることができます。
たとえば、職場に自分とはまったく考え方のちがう人がいる。
そこで、「あの人は変わった人だから」とラベルを貼れば、それ以上考えなくて済みます。
「最近の若者はわからない」
「上司とは価値観がちがう」
「営業の人とは考え方が合わない」
「うちの夫は何も考えていない」
こういう言葉も同じです。
相手をひとつの言葉で囲ってしまえば、それ以上近づかなくても済みます。
しかし、小林秀雄の言い方を借りれば、それはまだ「考える」ことになっていないのかもしれません。
本当に考えるのであれば、その人に近づいていく。
「この人は、何を見ているんだろう?」
「なぜ、そう思ったんだろう?」
「過去にどんな経験をしたんだろう?」
「自分には見えていない何が、この人には見えているんだろう?」
そうやって、自分のネットワークと相手のネットワークの接点を探していく。
つまり、わからない相手ほど、考える余地があるということです。
「理解する」とは、賛成することではない
ここで注意したいのは、相手について考えることと、相手に賛成することは別だという点です。
相手の視点に立ったからといって、「あなたが正しいです」と言う必要はありません。
「なぜこの人はそう思うのか」を知ることと、「自分もそう思う」はまったく別の話です。
むしろ、意見がちがう人と話すときほど、この区別は重要になります。
相手の考えを理解する前に、「それは間違っている」と切ってしまえば、そこで関係は終わります。
一方、「なるほど。この人にはこう見えているのか」と一度受け止められれば、自分とは異なるネットワークの存在を知ることができます。
自分が見ている世界だけが、世界のすべてではない。そのことに気づく機会になります。
だから、「考える」という行為には、他人が必要なのかもしれません。
「考える」は、人と関係をつくること
コミュニケーションというと、「うまく話す方法」ばかりが注目されます。
わかりやすく説明する。言いたいことを言語化する。結論から話す。
もちろん、それらも大事です。
でも、その前にあるものを忘れてはいけません。
目の前の相手について考えることです。
相手が何を見ているのか。何を知っているのか。何を経験してきたのか。
そして、それらをどんなふうにつなげているのか。
自分とは異なるネットワークを持った相手に近づき、接点を探す。
その行為そのものが、コミュニケーションなのです。
わからないから遠ざけるのではなく、わからないから少し近づいてみる。
人との距離が放っておけば離れていく時代だからこそ、「考える」という行為には、そんな意味があるのかもしれません。
1981年静岡県生まれ。制作会社にて、雑誌タイアップ広告の制作進行を務めたのち、フリーランスのライターを経験。国際情勢関連の英日翻訳をやりながら、2011年からイラストレーターの活動をスタート。現在は書籍・雑誌・広告など幅広く活動中。特に、ビジネス書や新書での挿絵や図解を担当することが多く、10年以上、活躍している。
これまで、装画・イラストを担当した書籍は200冊以上。『言語化だけじゃ伝わんない –––– 絵を描くように「考える・伝える」技術』(ダイヤモンド社)が初の単著となる。




