だから決めつけを避けるように、私は心がけるようになりました。
私の著書を読んで決めつけがひどいと思う人もいるかもしれませんが、それは私の筆力のなさであり、不徳の致すところなのでしょう。私としては、こんな可能性もあるよ、定説は間違っている可能性があるよ(可能性が高いよということもあります)と提示したいだけです。
世の中の常識と違う考え方を示すことで、ほかの可能性も考えられるようになってほしい、思考を解放して、思考の自由を得てほしいと思って書いているのです。
だから世間の常識に反することを、あえて書いています。
自分が正しいという考えに
とらわれすぎるのは禁物
ただ思考の自由というのは、現実に起こり得ない荒唐無稽な考えができるようになるというのとは少し違うと思っています。
それも思考の自由で、そのような発想ができる人が天才なのかもしれませんが、やはりいろいろな人と議論できるほうが、自分の世界にこもらなくて済むような気がします。
そこで私もある程度、根拠のある形で通説と違う意見を展開するようにしているのです。
さて、そのような意識をもつようになったのは、かなり前からのような気がします。
たとえば、私のデビュー作といえる『受験は要領』という本では、数学の問題を長い間考えていても時間の無駄だから、5分考えてできなければさっさと答えを見て、解法を覚えてしまえという主張をしました。
当然、教育の世界の常識とは違います。
その当時は、世の中の常識を覆すのが痛快だし、カッコいいと思っていました。
それから20年ほど経って、50歳になるころから、考え方が劇的に変わりました。それまでは受験のテクニック書を書くにしても、精神分析の理論書を書くにしても、こっちが正しくて、旧来型の理論は間違っていると考えていました。しかし、今は、旧来型の考えも正しいかもしれないが、私の考え方も間違いではないはずだ。そして、人間には個人差があるから、どちらが当てはまるか試してみないとわからないというスタンスに変わったのです。







