読まずに批判する
炎上はなぜ起きるのか
私は以前、『コミュ力は「副詞」で決まる』という本の記事がYahoo!ニュースで取り上げられ、炎上したことがあります。炎上するような内容ではないはずなのですが、本の引用の最後が次のような表現だったことが問題だったようです。
・昨日、先生が教室にお忘れになった書類、私が預かっておりますのでお届けにあがります。明後日、国立国語研究所の図書室に調べたい本を見に行く予定があるので、ついでに先生の研究室に立ち寄ります。
私自身は、調べたい本のついでかと、何とも言えない寂しい気持ちになりました。
当の学生に聞いてみたところ、先生にできるだけ負担を感じさせないように言ったつもりで、本当はついでではなかったのだそうです。日本語の難しさを感じました。
(https://smart-flash.jp/sociopolitics/233744/)
「ついでに先生の研究室に立ち寄ります」の「ついで」がなくても、学生のメールの意味は通じます。そこにわざわざ「ついで」をつけると、「図書室に行く」のがメイン、「先生の研究室に立ち寄る」のがサブという意味が際立ちます。いつも指導教員として世話をしている学生に「ついで」と言われると、教師として学生に大事にされていないのかと寂しい気持ちになったわけです。
ところが、学生は「ついで」と書いたのは、あくまでも教師に気を遣わせないためであり、わざわざ書類を届けに行くと言うと、先生が「いいよ。自分のほうから取りに行くから」と言いそうなので、「ついで」という言葉を強調したと言うのです。そんな学生の優しい心遣いに気づけなかった私自身の後悔の気持ちを込めて、この文章を書きました。
しかし、最後のこの部分しか読まなかった最初のコメント者が、「こんな心の狭い人を上司に持ちたくない」と書きこんだことでコメント欄は荒れました。「ついで」に学生の優しさを読みとれなかったのは私の落ち度でしょうが、そのあとに、私にたいする人格否定や、自身の職場の上司にたいする批判コメントがずらりと並んだのには正直萎えました。
おそらく書きこんだ人の多くは、それぞれの職場でストレスを溜めていたのでしょう。そのはけ口がきっとコメント欄への投稿になったのだと思います。私の文章の最後の引用だけを読んで、いや、最後すらも読まずに批判されていることが実感できました。人は読まずに批判するということを、身をもって体験できた次第です。







