情報過多の社会で
偏った先入観が強化される
読まなければいけない情報が増えている現代人は、文章を読むというよりも見るだけで済ませてしまいがちです。極端にいえば、目に入った文章を瞬時に識別し、自分の価値観に合う文章はよい文章、価値観に合わない文章は悪い文章という分類をすることが、読むことだと勘違いする状況が出現しています。
その結果、何が起きているのでしょうか。私たち1人ひとりは先入観という偏った価値観を持っています。異質な考えに触れる読書という営みは、そうした先入観の是正につながる働きを本来は持っていたはずです。
しかしながら、情報過多の現代社会で生じているのはむしろ、偏った先入観の強化です。せっかく世界には多様な情報が溢れているのに、エコーチェンバー現象に陥り、自分と異なる意見に触れるのを避け、自己の狭い視野を広げる機会や、自己の古い認識を更新する機会を逃しているのだとしたら、それほど残念なことはありません。
もちろん、情報過多は私たちに過大なストレスをもたらします。そうしたストレスは、入ってくる情報が私たちの情報処理能力を超えることで(個人要因)、入ってくる情報の数や種類が激増することで(情報特性要因)、求められる作業の量や処理の複雑さによって(作業処理要因)、所属する組織の情報共有や意思決定の文化によって(組織要因)、Eメールやビジネスチャットツールなどによって(情報技術要因)もたらされるとされています(Shahrzadi et al. 2024)
読んだふりをするよりも
読まない方がマシ
増えつづける情報は私たちの生活に悪影響を与えます。必要な関連情報から目をそらし、作業効率や生産性、さらには意思決定の精度を低下させ、情報過多により心理的ストレスに悩まされるのが現代人の姿です。
『本物の読解力』(石黒圭、SBクリエイティブ)
これほどの情報量に接したのは、人類史上、おそらく私たちの世代が初めてです。したがって、私たちが自分の身を守るために情報を減らす努力をするのは悪いことではなく、「入ってくる情報を制限する」「情報の整理をして処理を容易にする」「優先順位をつける」などの対処が必要でしょう。
しかし、情報量が膨大だからといって、私たちがいい加減に対処してよいということにはなりません。私たちが学校や職場で文章理解の精度を下げると、自分自身の学力や評価、信頼の低下として跳ね返ってきます。一方、私的な生活において、軽い気持ちで行ったインターネット上の書きこみが法的責任を問われることもあります。
そんな時代だからこそ、あえて読まないで済む情報は、読んだふりをするのではなく、読まないで済ます勇気が必要なのではないでしょうか。入ってくる情報が自分にとってどのぐらい意味のあるものかを判断して読むべき文章を厳選し、読むと決めたものにたいしては、先入観をできるだけ控えたボトムアップ処理で文章を丁寧に読むことが求められるように思うのです。







