両者の間で苦悩した利家は、最終的に戦場を離脱。勝家は敗北し、北ノ庄城で自害しました。
秀吉と勝家が戦った賤ヶ岳の戦い。当初、勝家側についていた利家は戦場を離脱する (C)NHK 拡大画像表示
その後、利家は秀吉に仕え、佐々成政との戦いなどで功績を重ねました。やがて秀吉がかつて名乗っていた「羽柴筑前守」の名を与えられるなど、厚い信頼を受けるようになります。
加賀百万石の礎を築く
柴田勝家の滅亡後、利家は加賀の領地を与えられ、拠点を尾山城へ移しました。この尾山城こそ、現在の金沢城です。
ここから前田家は、加賀・能登を中心に勢力を拡大し、江戸時代には「加賀百万石」と呼ばれる巨大な藩を築くことになります。
『豊臣兄弟!』の前田利家 (C)NHK 拡大画像表示
秀吉の晩年には、利家は豊臣秀頼の傅役(もりやく)にも任じられています。領地や官位では、秀吉政権下で随一の勢力を誇った徳川家康に及ばなかったものの、武将たちからの人望では利家が勝っていたともいわれています。
しかし慶長4年(1599)、利家は病により死去。翌年には関ヶ原の戦いが起こり、天下は徳川家康のもとへと移っていきました。







