「思わぬ方から風は吹くものね」
そこへ、直美が帰ってくる。
「なんだか私が元気づけられちゃって」と平蔵と、気晴らしを一緒に探すことにしたと直美は言う。
だが、ひとりになると、吾郎といっしょに撮った写真をじっと見ている。
そんなに簡単には忘れることはできないだろう。
かたわらで、今日も明がかわいい目で直美を見上げている。
ハンカチーフのもともとの持ち主・捨松が事務所に来た。
大山司令官の妻としてお悔やみを伝える。
そういえば、日清戦争のとき、大山巌(高嶋政宏。「高」は、はしごだか)はどうしていたのだろう。
戦争ははじまる前は、陸軍大将、枢密顧問官になっていた大山は、明治27年(1894年)にはじまった日清戦争時は元老となり、第2軍司令官として指揮をとっていた。
28年に戦争が終わり、31年には元帥に。翌年に参謀総長となる。日露戦争では満洲軍総司令官。40年に公爵となる。大正3(1914)年から内大臣。まだまだご活躍のようだ。
「思わぬ方から風は吹くものね」
捨松がちょっと気の利いたセリフを言う。
戦争があったことで看護婦の存在が世界に広く知られるようになった。でも、その一方で、大切な人を失うことにもなった。
「私たちでこの風を大きくしていきます」
たくましいりんたちに捨松は
「あの日、炊き出しであなたたちに声をかけた自分を褒めたいわ」
「あなたたちの歩み道があとに続く者の道になるはずです。これからの看護婦を。あなたたちに託します」
思わぬところから風が吹く。これも、「歩々清風」の言葉と共通点があるように思う。
捨松、これで退場?
史実では、日清戦争でも、大山夫人として活躍し、日露戦争では、アメリカの週刊誌や『ロンドンタイムス』に寄稿し日本の立場を世界に訴えた。それがのちの講和条約を有利に導くことに役立ったとされている。亡くなるのは大山よりあとである大正8年(1919年)だ。
いつも、りんと直美にいいセリフを言って励ます役割の捨松。もう少し出番はあるのではないだろうか。ファイターぶりをもう少し見せてほしい。
第23週は、脚本クレジットが佃良太と吉澤智子の連名になった。佃良太が協力ではなく脚本の一部を書いているという意味だ。









