挨拶を欠かさず、まわりの評価も高い。だれから見ても「いい人」なのに、家庭や近い関係になると印象が変わる。そういう人がいる。じつは外面のよさと、身近な人への振る舞いは、正反対のようでいて、同じ一つの性質から来ているという。アパレル史上最年少で上場した株式会社yutori社長・片石貴展氏は、著書『自分の言葉で話せるようになりましょう。』で、外面のいい人が抱える危うさの正体を指摘する。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局/淡路勇介)

外面がいいだけの「実は危険な人」の特徴・ワースト1Photo: Adobe Stock

「外面がいい」とは、どういう状態か

外面がいい。
ふつうは長所として語られる言葉だ。だが片石氏は、これを少し違う角度から見る。
外面がいいとは、いつも他人の評価や世間の目ばかりを気にしている状態のこと。意識が、自分の内側ではなく、常に「外」に向きっぱなしになっている、ということだ。
問題は、この「外に向きっぱなし」が、身近な人への態度に、思わぬ形で現れることにある。

いちばん危ういのは、他人を思い通りにしようとすること

意識が外に向いている人は、他人の反応をコントロールしたくなる。
だが、他人は本来コントロールできない。そのギャップが極端な形をとったとき、何が起きるか。片石氏は、こう書いている。

他人だからコントロールできないはずなのに、無理やり暴力や言葉で支配(コントロール)しようとしている状態がDVです。そして、「外面がいい」というのは、常に他人の評価や世間の目ばかりを気にしている状態です。
――『自分の言葉で話せるようになりましょう。』より

DVは、その最も極端な例だ。だが構造そのものは、ずっと身近なところにもある。
思い通りにならない相手を、不機嫌や圧力で動かそうとする。上司が不機嫌で職場をピリつかせるのも、根は同じだ。

なぜ「外面のよさ」と同居するのか

一見、他人を支配しようとする人と、外面のいい人は、正反対に見える。だが片石氏の見方では、この二つは同じ性質の裏表だ。
他人を思い通りにしようとするのも、他人の目を過剰に気にするのも、向いている先はどちらも「外」。自分の内側ではなく、外の世界に意識が奪われている。
根が同じだから、外面のよさと、身近な人への支配は、同じ人の中に同居する。
外ではいい人に見えるのに、近くにいる人ほど息苦しさを感じる。その落差の正体が、ここにある。

危うさと魅力を、分けるもの

では、どうすればこの危うさから抜け出せるのか。
答えは、意識を外から自分の内側へ戻すことだ。

他人が笑うか怒るかは、こちらにはコントロールできない。
変えられるのは、自分がその相手にどう向き合うか、という自分の側だけだ。相手を思い通りにしようとする手を止めて、自分にできることに集中する。片石氏は、意識が外に向くか内に向くかという、たったそれだけの違いで、人としての魅力には残酷なほどの差がつく、という。
外面をよくしようと外ばかり見ている限り、その危うさは消えない。
信用は、他人の評価を追うことではなく、目の前の相手ときちんと向き合うところから生まれる。