お市の方高野山持明院蔵「浅井長政夫人像」/Wikimedia Commons(Public Domain)

織田信長の妹として生まれ、浅井長政、柴田勝家という2人の武将に嫁いだお市の方。最初の夫・長政が自害した際には娘たちと生き延びた一方、10年後、勝家が敗れると今度は夫と運命を共にした。なぜ、お市は二度目には死を選んだのか。史料に残された「くやしい」の意味とは。(古城探訪家 今泉慎一、執筆協力/加藤桐子)(古城探訪家 今泉慎一、執筆協力/加藤桐子)

賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ
勝家と運命を共にする

 1583(天正11)年、織田家の家臣だった羽柴秀吉と柴田勝家が衝突した賤ヶ岳の戦い。この戦いで勝家は敗れ、自身の居城である北庄城に撤退すると、わずか数日後には秀吉の軍に包囲されてしまいました。

 敗北を覚悟した勝家は、夜、一族や近臣たちを集めて最後の宴を開きました。そして、妻である市(お市の方)は自分も勝家と運命を共にすると答えました。

なぜお市の方は浅井長政とは死なず、柴田勝家とは自害したのか?史料に残る「くやしい」の真意高野山持明院蔵「浅井長政夫人像」/Wikimedia Commons(Public Domain)

 この夜、市は辞世の句を詠んでいます。

 「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」
(そうでなくとも夏の夜は短いのに、ほととぎすが今生の別れを急かすようですね)

 死を象徴する鳥でもあるほととぎすを歌い、短い夏の夜に儚い人生を重ね、すでに死の覚悟を決めたことが伝わる辞世でした。

 そして、市は、浅井長政との間に生まれた三姉妹を城から逃がして羽柴秀吉に託すと、夫・勝家とともに自害して果てたのでした。

なぜお市の方は浅井長政とは死なず、柴田勝家とは自害したのか?史料に残る「くやしい」の真意柴田勝家/Wikimedia Commons(Public Domain)

信長の妹として生まれ
波乱万丈の人生を送る

 市は織田信長の妹として、1547(天文16)年ごろに生を受けたといわれています。江戸時代の書物では「天下一の美人」、現代では「戦国一の美女」と評判の女性です。

 1567(永禄10)年、市は北近江の浅井長政と結婚します(年代には諸説あり)。信長が長政と同盟を結び、その証としての政略結婚でした。しかし、政治的な結婚だったにもかかわらず、市と長政の仲は非常に良好だったといわれています。6年ほどの結婚生活のなかで、二人の間には浅井三姉妹として有名な茶々、初、江が産まれました。