織田信長 画像:狩野元秀《織田信長像》(1583年、長興寺蔵)/東京大学史料編纂所、Wikimedia Commons(Public Domain)
1580年、織田信長は突如として重臣・佐久間信盛を追放する。30年も忠実に仕えた信盛に送り付けられた19条におよぶ激烈な「折檻(せっかん)状」の中身とは?なぜ信盛はターゲットになったのか。この折檻(せっかん)状より3年前に、似たような行動をとったのに信長の赦(ゆる)しを得た羽柴秀吉との「決定的な違い」とは?(古城探訪家 今泉慎一)
30年も忠実に仕えたはずなのに
まさかの「手のひら返し」
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第25話でも描かれますが、1580(天正8)年、織田信長は突如として重臣の安藤守就、林秀貞、佐久間信盛らを追放しました。この中で最も信長に貢献していたのが信盛でした。
信盛が織田家に忠義を尽くした年月は、実に約30年。初めは信長の父・信秀、続いて信長にも彼の幼少期から仕えており、信長の主だった合戦には軒並み参戦しています。桶狭間の戦い、姉川の戦い、比叡山焼き討ち、三木合戦などなど。つまり、長年に渡って多大な貢献をしていたのは、紛れもない事実です。
佐久間信盛 画像:『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より/Wikimedia Commons(Public Domain)
そんな信盛が、ある日突然、信長から突きつけられたのが19条もの苛烈(かれつ)な叱責(しっせき)の言葉が並ぶ「折檻(せっかん)状」でした。
初めは冷静に見える文面だが……
書き進むほどに怒りが増す信長
折檻(せっかん)状は、信長の一代記『信長公記』にも全文が記されています。少し長くなりますが、各条の要点を現代語に「意訳」したものを順に見ていきましょう。まず、最初の5条です。







