じつは僕自身も、10年前に亡くなった父に宛てて、毎年の父の命日に手紙を書いています。父とはあまりよい関係ではなかったので、父を批判したくなる気持ちを吐き出すこともありますが、時が経つにつれて父のありがたみを感じる出来事を思い出すようになりました。「ありがとう」と書けるようにもなり、「生前の父」と「今感じている父」というのは、ずいぶん変わってきているように思います。
しんどい思いを吐き出す相手がいなかったり、人に話すのがためらわれたりするなら、「投函しない手紙」に思いを綴ってみてはいかがでしょうか。
CASE(6)「からだの境界」「感情・意志の境界」の混乱
健康のためにダイエットを続けている
健康を維持するためにダイエットをしているという人はよくいますが、そういう人に「健康診断の数値で何かありましたか?」と尋ねると「何もない」と答える場合がほとんどです。そういう人は、健康診断で体重しか見ておらず、健康ではなく理想の体重をキープするためにダイエットを続けている。そして、「体重のためのダイエットと考えると先延ばしにしてしまうけど、健康のためと考えればがんばれる」というのです。
僕は、健康という言葉は危険なマジックワードでもあると思っています。ダイエットにかぎらず、「健康のために」を口ぐせにしている人たちは、どうすれば健康を維持できるのか、どういう状態が健康といえるのかを見失っていることも多いように感じます。だから、具体的な手段や目的を尋ねても答えられないのです。
フィットネスにはまっている人も同じで、ある男性に「仕事で疲れているときと、心身にゆとりがあるときとでは、トレーニング内容は変えていますよね」と尋ねたら、「いや、同じですよ」というのです。
これはフィットネスというプロセスに対する一種の依存ともいえます。フィットネスが日常では味わえない感情を味わう「非日常」の場となっているから、しんどくても熱があってもジム通いを続けてしまうのです。
こうした例は、「からだ(健康)の境界」だけでなく「時間の境界」「お金の境界」の混乱を招くこともあります。たとえば、食事にいっさい気を使わずに高額の痩身エステに通う、空いた時間のほとんどをジム通いに費やす……といった具合です。
健康・時間・お金の3つのバランスがとれた境界線を引くためには、まず混乱している自分の状況を見直して、何を優先したいのかという順位を決めるとよいでしょう。そこから境界線の引き直しに取り組んで、「わたしと自己の境界線」をしっかりセルフマネジメントできるようになるとよいですね。








