
環、親に内緒で
りんから見て「人並み」になったと自覚したシマケンは、昔のような迷いがなく、落ち着いて見える。
以前の彼はりんの目にはたぶん、常にキリキリ、チリチリして見えたのだろう。でもそんな彼を支えたかったのだとも思うが。
そこへ直美がりんを呼びに来る。
これまでの直美は、りんとシマケンを一緒にいさせるようにつとめてきた。でもいまは、ふたりを軽く引き離す役割に変わっている。これがりんとシマケンのいまの関係値を表している。
シマケンを呼び止めたのは環だった。
環と一緒にいるシマケンは昔のままだ。
環の絵を見て感心し、小林清親のポンチ絵を知っているかと聞き、環がまねっこしているだけと卑下すると、「クリエイトは必ずマネごとから始まる」と昔のように喜々として蘊蓄(うんちく)を語りだす。「学ぶ」の語源は「真似ぶ」ともいう。絵画も文学もおんなじで――と夢中になる彼に、
「シマケンさんだ。勝手にいなくなっちゃったとこも、シマケンさんらしい」と環はほほえむ。
りんはさすがにわだかまりがあるようだが、環は素直。
「怒ってないよ。ちょっと寂しかったけど」
思えば、りんが新潟に行っていた間は、環はシマケンと美津と直美と4人で過ごしていた。描かれていないが4人には特別で濃密な時間があったことだろう。
りんに会いに新潟にいって帰るときだって、直美が残り、シマケンと環はふたりで東京に帰った。おじさんと言いつつ、お父さんのいない環にとってはややお父さん的な信頼感はあったに違いない。
だから環とシマケンの間には壁がない。絵の話ができる。
だが画家を目指してるの?と聞かれ、絵を描いて生きていけるわけもない、これはただの私の好きなこととしか言えない。
「シマケンさん言ってたでしょ? 寂しいときやつまらないときは好きなことするといいって」
絵がこんなにたくさんあるということは、それだけ寂しいときやつまらないときがあったことを意味する。
「こう見えて私にもいろいろあるの」と環はぼかす。
「もう親に秘密を持っていい年頃か。また絵を描いたら見せにおいでよ」
シマケンはいまの住所を環に教える。
いい話にも見えるが、りんと別れたシマケンが、東京に戻ってきた途端、りんに内緒で環と会うというのはありなのだろうか。
そこがこのドラマのキャッチコピー「道をはずれた人から、いつも道は生まれた。」らしさかもしれない。
明治の浮世絵師・小林清親(1847~1915)は「光線画」と呼ばれる風景画で有名になったが、明治14(1881)年以降、光線画の制作を取りやめ、「ポンチ絵」と呼ばれる風刺画を描きはじめた。
明治15(1882)年の『新版三十二相』や、明治16(1883)年の『百面相』は日常生活で見せる表情を豊かに描き出したもので、笑いを誘うが、中には時の政府を揶揄するものも含まれていた(参考:太田記念美術館のサイトなど)。







